BLOG

畳む方向

友人(同世代、アラカン)が「人生、ちと広げ過ぎたかもしれない」「散らかしたなぁと思う」「ある程度、畳む方向で考えてみようかな」と言いました。
人生を「畳む方向」だなんていうと、ちょっと ギョッとされそう、うら寂しい印象もあるかもしれません。でも、私も少し前からその感覚は持っているので、わかるよーと言って話をしました。

人生って、そんなにきっちりスッキリ綺麗に終わるものではなくて、誰の人生も大抵、何かをやりかけているもので、中途半端なところで終わったりもしますよね。
何か仕事のプロジェクトを進めていて完遂間近だった…とか、住む家の設計を頼んだところだった…とか、育てている花苗がたくさんあったとか、今度の夏休みは家族と海外旅行に行く予定にしていたとか、明日食べようと思って作ったカレーが冷蔵庫の中に残ってる、とか、準備万端でスッキリ最期を迎える人もいるでしょうが、大抵 何かをやりかけたまま人生を終える・・・。

そういうものだと思うのです。
人生の物語の最後のページは自分では書けない、という言葉もあります。
半端なところで終わるものなんだ、ときには突然に終わってしまうものなんだ、と思っていたらいい。

それでも、この年齢になってくると、これまでの前進だ成長だもっと拡大するんだ…のような感覚は持ちにくく、持てなくなるわけではないけれど、やっぱり勢いはなくなるし、”あれを手に入れたい、これも欲しい” は無くなってきます。逆に、広げ過ぎた店は縮小しようかな、と・・・。
まだまだ若々しくて新しいものをどんどん追求している同世代もいますけれど、私や私のその友人などは「起承転結」の「結」、「春夏秋冬」の「秋(晩秋?)」を感じ始めているわけです。

これには寂しいニュアンスはなくて、むしろ明るく晴れ晴れとしたものです。
ただ、「結」の時期に入ってきたと感じたからそのことに向き合いたい、「晩秋」だと感じるわけだから 成長・発展というより 収穫できるものを収穫して味わうことを大事にしたい、そんなかんじです。

そう思い始めたことを自分自身で受け止めながら、自分が仕事にしてきたことにおいてもプライベートでも、伝えたいものは惜しみなく伝え、使ってもらえそうなものは差し出してみたり 残し方(保管方法)を考えたり…、そういうことができたらよいな、とも思います。

友人が言いました。
「いつまでも若いつもりで若者と一緒の思考と行動をしてるのは違うよね」
「念のため、と持って歩いていたものも、大概もう要らないんだよね」
「何か新たに得るとしたら、AもBもCも、じゃなくて、AかBかCか、ひとつ選ぶ、あるいは どれも要らない、っていう…」

同感、と私は言いました。
これからは、還暦の自分の体と心にしっくりくる、小ぢんまりでも洗練された暮らしをしたいです。

生きる人は100年生きる時代、そう考えるとまだまだ時間はあるのでしょうが、だとすると「下手したら長い長い消化試合をやっていく(友人の言葉)」みたいなこともあるわけです。

ごめんですね、それは。

なので、この辺で一度、これからの自分にとっての “いいこと” “大切なもの” を確認しておくために、手放すものは手放したい、畳めるところは畳みたいと思います。
そして ますます、元気にやっていこうと思っています。

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP