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他人の描いている絵

先週は、家族の問題に苦労する方からのご相談が多かったです。
この “機能不全家族” の問題は、ご自分の抱える問題がそれに由来しているとは思っていないケースも含めたら、いつでも 最も多いご相談 なのですが…。

20年ほど前からでしょうか、日本でもこの「機能不全家族」「アダルトチルドレン」「共依存」などといった言葉が広く知られるようになりました。長らく生きづらさを抱えて来た人のなかには、これらの言葉、概念について学んだことで、なるほどそういうことだったのか!と、自身が繰り返してきた心理的なトラブルや 長年晴れることのなかった心の苦しさの理由が分かった、合点がいった、という点で、楽になった、救われた気がした、という人が多くいたかと思います。

先週お会いした方たちも皆さん、既に40代、50代になられている方たちでしたが、親御さんやごきょうだいとはもう一緒に暮らしていなくても、あるいは「もう縁は切ったつもりだ」ということだったとしても、 “依然、家族に振り回されている” のでした。

家族問題には、家族から実際に迷惑を掛けられている(実害がある)ものもあれば、そうではなく、家族のことで常に頭を悩ませていたり心を痛めていたり「なんとかしてやろう」と奮闘していたり・・・というケースもあるのですが、
いずれも、「それは家族(=自分ではなく、他人)の問題なのだから、自分が介入し解決できることではない」ということが、理解できないか、理解できても受け入れられない、ということが共通点としてあります。
自分にできることがあるはず、最善を尽くしてあげねば、と思っているわけですが、お話を伺う私は本当に身につまされる一方で、家族問題というものの根深さを、改めて想うのでした。

私自身の家(私と妹たち二人)もそうでしたが、健全な家として機能していなかった家庭では、子どもたちはそれぞれに、その家庭を守るために「役割」を果たします。役割分担して親を、家を、守ります(子どもですから無意識にやるわけですが…)。

以下は、アメリカのセラピスト、クリッツバーグ(Kritsberg,W)が、機能不全家族のなかで子どもたちが担う役割に どのようなものがあるかについて、著書の中で言い表したものです。

「ヒーロー」(hero / 英雄) 一家の誉れとなるべく努力し続ける優等生。
「スケープゴート」(scapegoat / いけにえ) ヒーローの逆。問題を起こし、一家の “ダメ” を一手に引き受けているような存在。非行型も。
「プラケーター」(placater / 慰め役) 親の愚痴を聞き、慰める役。”小さなカウンセラー”。
「クラウン」(clown / 道化師) 緊張を解き空気を和ませるために、おどけたり間抜けを演じたりするピエロの役。
「イネイブラー」(enabler / 支え役) 自ら親を支え励まし世話を焼く役。仲介役。調整係。
「ロストワン」(lost one / いない子) 息をひそめ、忘れ去られた存在として振る舞う。

どうでしょうか。我が家は機能不全家族でしたという方、ご自身はどんな役割を担っていましたか?
一人っ子はもちろん、家庭の中に子どもが複数いる場合も、一人で何役も担っていることもあるでしょう。
そして大人になった今も、そんな家で身につけた考え方や振舞いのクセによって、ご自分の生活、人生が、「侵害されている」「不自由だ」「幸せなものにできない」と感じていることがあるかと思います。

家族への愛情はよくわかります。尊いものです。
でも、親のため、きょうだいのため…といって奔走したり心を痛めたり体を壊したりしているなら、それは見直し、上手に卒業していかねばなりません。

“大切な家族” とはいえ、自分とは違う人、他人です。
他人の人生なのですから、あなたが “責任を取る” ことはない、というか、責任取れると思っているなら間違いなのです。
それは他人が描いている絵を「下手くそだね。見てられないよ」「こう描きゃいいんだよ、ちょっと貸して」と言って筆を奪って描くようなものです。
その絵が下手でも、筆が遅くて完成に程遠いように見えても、それはその人のもの、それでよいはずなのです。
あなたは、他人の描いている絵の批判や手伝いをするのではなく、”あなた自身の絵” を描き進めていくことに専念しなくては。

他人の問題を重大に感じて振り回されている人は、自分の暮らしが満たされていないものです。
他者への献身、奉仕によってしか幸せになれないと思っていることもあるでしょう。
でもそれは、小さかったあなたが思いこんでしまった生き方であり、身につけてしまった思考と行動の習慣であり、手放していく必要があります。

「苦しいなら、それは愛ではない」という言葉があります。
こんなに思っているのに理解されなくて苦しい、腹立たしい、というなら、それは愛の話ではないのです。
愛に生きたいですね。愛に生きて自分を幸せにする、という唯一の責任だけ、果たしたいものですね。

そのためには、自分が育った家で、やむをえず果たしてきた「役割」から、なんとか解放されることです。
自分がいまだにどれだけ縛られているのかを認め、どれだけ未完の感情的な問題を抱えているのかに向き合うこと…、まずはそこ、と思います。

そんなこと言われても途方に暮れてしまう…という方は、どうぞご相談ください。

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