BLOG

〈愛〉なのか〈愛じゃないもの〉なのか

先週の、元総理狙撃事件。初め感じていたのは「やるせなさ」でしたが、犯人についてなされる報道に触れるにつれ、少し身体的に痛みを感じるレベルで、いろいろと “受け取って” います。妙な表現になってしまいますが、いろいろと “届く” ので、ハートに少し しんどさ があります。

かつてお会いしたお客様たちのお顔も次々と浮かんできます。
いわゆる カルト二世 の方たちです。
傷つきすぎていたし、事態が複雑で問題が難し過ぎて、私にはほとんど力になることができなかったことを思い出しました。
とりあえずの傷の手当てとして何ができるだろうか、刺さったままの刃物はそのままにしておくほうがいいんだろうか、溜め込んだ怒りと悲しみが大きすぎる、その大きな感情エネルギーの安全な解放とは・・・?、その状態で人生をどう立て直していけるだろうか、この人の健気な努力は報われるだろうか、微かな希望の置き場はどこにあるだろう・・・、そういうことを考えては唸るばかりでした。

私たちには、今回の事件があぶり出しているものから 改めて考えさせられることも、たくさんありそうです。
この問題の背後、そして根っこのところに透けて見えてくるものを、より知ろうと思っても、全貌を捉えることは無理でしょう。その “しくみ” は、 “しくみ” と思えないほど巨大だし、私たちが当たり前だと思って立っている「地面」の話になってくるから、きっと「分からない」と思います。
私たちは、実に巧妙に、騙されてしまっているんでしょう。多くの人が手放せない「思い込み」の強固さに対しては、やっぱり脱力してしまう・・・

それでも私は私で 自分の ありったけ を使って、自身が問われていることには答えていきたい、と思います。

そして、
「私たちの出会っているものには2つしかない。〈愛〉なのか〈愛じゃないもの〉なのか、だ」
「少しずつ、〈愛〉の方を選べる人になっていこう」
ということを、仕事の場でもそれ以外でも、地道にしつこく、言い続けたいと思います。

 

 

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP