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せいぜい、安全網を張るくらい

親である自分から見て、子どもが何か難題に取り組んでいるとき、その子どもの姿が、まるで “綱渡り” でもしているかのように見える・・・ということがあるかと思います。

「実力をはるかに上回っているんじゃないか?」「失敗に終わるんじゃないか?」「危なっかしくて見てられない」・・・というふうに思われ、ついつい、成功を画策してやろうと手出しをしてしまう・・・という人がいます。

でも本当は、子どものそのチャレンジは、その子の意思によって始めたものであるなら、結果にかかわらずその子にとって、貴重な経験になるわけです。
とかく「失敗させたくない」「失敗より成功がよいに決まってる」と思ってしまうものですが、そんなことは絶対にありません。

「経験」というのは、他人が素晴らしいというものだけ、社会が評価するものだけに価値があるわけではないんですよね。
たとえば、学校を退学してしまうこととか、大失恋とか、怪我とか病気とか、人から騙されるとか裏切られるとか、そういう経験であっても、それをどう受けとめて その後に生かしていくか次第ですが、貴重な経験になります。

心配で心配で堪らない、何も手に付かない・・・などといってオロオロしてしまう人がいるなら、たぶんその人は、自分自身の人生を心配ばかりしているでしょう。そういう考えで ものを見て、子どもを見て、勝手に筋書き予想をして結末を想像してしまうのでしょう。

そもそも、自分の子どもであっても他人(自分じゃない人)の人生、他人のチャレンジなのですから、親にできることと言ったらせいぜい祈ることと、最悪の状況を避けるための「安全網」を張っておくことぐらいです。
綱渡りをしている子に、何か上から吊って前へ進めてやったり、ゴールを手前に持ってきたり・・・という「余計なお世話」をすることは、慎まなければならないと思います。

子どもが親離れをしようとしているとき、それと分からないよう口実を作ってそれを妨げてしまうのは、たいてい、子離れできない親の方です。
心当たりがあったら、自分の人生、暇じゃないか?虚ろで寂しいんじゃないか?・・・そう自問したいと思います。

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