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直感が冴えている

最近、もともと鋭いのですが「直感」が冴えていて、やっと求めていた状態が来たのだな、保てるようになったんだな、と嬉しく感じています。

もともと鋭いと書きましたが、子どもの頃~若い頃はどちらかと言うと、低波動のものと繋がりやすいところがありました。亡くなって間もない戸惑っている人(霊)を見るとか、生きている人の強い念を受け取るとか(生霊というやつですね)・・・。

困ることも多かったし、どうせ鋭いならきちんと学んで正しく視ることが出来るようになりたいと考えて、エネルギーを視ること(透視)、エネルギーを通し動かすこと(ヒーリング)を学べる学校に入って通いました、10余年前のことです。

怪しいと思われがちな業界ですが、その学校は健全な学校で、ただひたすらに、エネルギーを視ること、動かすことを学び、その上達のためにはとにかく地球にしっかり立ちなさい、全ては自分の中にあると心得なさい、とにもかくにも心身に溜め込んでいる不要なゴミを捨てることです、ということを徹底的に教わりました。

私も含め、随分と生き易くなった生徒、暮らしが大きく変わった生徒は多くて、皆それぞれが、苦しみはしましたがその学校に通った期間を、人生の大きな転機にしたと思います。

とは言っても私は、人のエネルギーを「感じる」ことは出来ても、画像、映像で「視る」というのが得意ではなくて、コツを掴むまで苦労しました。既定の1年間で卒業を認可された生徒は3分の2いましたが、私は「卒業延期→要・補修」組の3分の1に含まれる生徒でした。

でも、この卒業延期のおかげで、その補修期間(半年)に努力したことが、後々とても ためになり実を結び、「すっと卒業できなくてよかったな」と思ったものでした、負け惜しみみたいになりますが。

その半年間に私は何を頑張って訓練したかというと、「見たものを純粋に表現する」ことだったのですが、何が大変だったかって、私はすぐに、見られる側の思いに いちいち応えようとしてしまう(気を遣ってしまう)し、自分を信じることが難しかった(自信をもって言葉にすることが出来なかった)ために、せっかく見たり捉えたりしたものの純度が下がってしまったことでした。子どものように純粋に、堂々と、見たままを口にするのは至難の業だったのです。

そんな私でしたが、初めに書いたとおり最近は、直感、霊感が冴えていることを感じます。「良いもの」を楽々選べるし、危機回避も上手に出来ます。

これは、年を取って、いろいろと覚悟ができたことで、葛藤が減り、物事の判断にヘタな思考が挟まらなくなり、結果、ちゃんと選ぶべきものが選べるようになったのだろうと思います。
「これかな?」と思った後の「でもなぁ…」「どうなんだろう…」「もう少し考えてみよう」が殆どなくなり、とにかく、一番先にポンとやってきた感覚を、即・採用できます。これは間違いがないのです。

・・・ということから考えると、私たちの「判断ミス」って、よくよく慎重に考えたときこそ多くて、つまりはモタつく原因は、脳内のゴミの多さによって起こしている “視界不良” に一因があるのだと思います。
透視の学校で卒業延期を言い渡された頃の私を思い返しても、私ってほんとに、余計なことばかりをごちゃごちゃとうだうだと考えていたなぁと思います。「レンズが曇っているからゴミを捨てて視界を綺麗に保ちなさい」と、教師からよく注意されたものでした。

皆さんはどうでしょうか。直感は鋭いですか? 来た直感を尊重できていますか? 脳内のゴミはどうでしょうか?

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