自分でなく、自分の大事な人(パートナーとか家族とか・・・)が、悩みを抱えている・・・ということでご相談に来られる人がいます。
大事な人が悩んでいる姿を見るのは辛い、何かよい解決策があれば教えてほしい・・・というものです。
悩んでいる人というのは、もちろんその悩みを解決したい、悩んでいる状態から解放されたい、と思っている人が殆どかと思いますが(ときどき「悩んでいたい」人というのもいますが…)、
だけど、自分の悩みを、他人から簡単に「あー、わかるわかる」「そういうときはね、こうすればいいんだよ」などと言ってほしくないんじゃないかと思うのですね。
せっかくの親切で言ってもらっているのが分かるから、力なく笑ってみせるかもしれませんが、内心は「うーん、違うんだよな・・・、そういうことじゃないんだよな・・・」と思ったり、「そうしたいわけじゃないんだけどな・・・」と思ったり、とにかく理解されていないことが、かえって浮き彫りになって、辛くなってしまうかもしれません。
大事な人が悩んでいるときは、もちろん、打ち明けられたらぜひ共感してあげたらいいし、役に立ててもらえそうな知識、知恵があったら伝えてみたらいい。でも、いつでも力になりたいと思っていることだけは伝えて、あとはそっとしておくことではないかな、と思います。
「悩み」って、ある人には悩むことであっても、別の人には悩みにならないものですよね。
立場、状況も違うし、性質(内向的なのか外交的なのか、考える人なのか感じる人なのか、あるいは思考型なのか直感型なのか…ということ)も違います。どうしたいと思っているか…という「意思」も異なります。
だから、とりあえず「あぁ、それね、わかるよ!」も「そんなことで悩むな」も違うし、そもそも、その人の悩みはその人のもので、援助はされたとしても、その人自身が解決しなければ意味がないわけです。
そして「悩み」というのは、さっさと解決すればよいというものではないのだと思うのですね。
悩みは、深めてこそ、なのだと。
何かに悩んだとき、その悩みを深めることなく、なんとなく解決した気になったり、誰かお節介な人が解決してくれたりしたとしたら、間違いなくその人はまた、同じような問題に出会って悩むことになります。
だから、もちろん変に拗らせたり、日常生活に支障を来したりしないよう、上手くコントロールしながら悩むことも、社会人には必要ですが、何か悩みを抱えたら、辛いことであっても、悩んでいる状態を悪いものだとは捉えず、成長のチャンスが来ていると思って、しっかり悩むことだと思います。
というわけで、他人の悩みを解決してあげようとしない、という話でした。
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