いま孫娘のために、せがまれて毎日、たくさんの絵本を読んでやっているのですが、
自分の子どもたちが小さい頃も、毎日毎晩、すごい数の絵本を、読み聞かせてやったなぁと懐かしんでいます。
読み聞かせのほかにも、私はある時期(息子が3~4歳の頃) 消灯後、添い寝をしながら、息子のために創作した「ドクロン」という “見えないともだち” と息子を会話させる・・・という遊びを、続けていたことがありました。
「ドクロン」というのは確か、ドクロを元にした名前でしたが、その「ドクロン坊や」は、ある晩 なかなか眠らずにふざけていた息子を、怖がらせて眠らせるために、姿は見えないけれど やって来た “オバケ見習い” “チビッ子オバケ” という設定にして、始めたものでした。
『ねないこ だれだ』という絵本がありますが、あれの延長のような・・・。
はじめは、どろどろどろどろ・・・と やってきて怖がらせてみたのですが、なにせ、見習いのチビおばけなので、迫力を出せず、息子に「おい、ドクロン、そんなの全然怖くないんだけどー笑笑」と笑われたりしていました。
ドクロンは、はやくねろー、はやくねないとさらっていくぞー、などと言いながら、終いには自分が「くぅ…くぅ…」と寝息を立ててしまう始末で(と言っても私が1人で演じているわけですが…)、やっぱり息子に、自分が先に寝ちゃうのかよー?と笑われるのでした。
そんなかんじで毎晩消灯すると来てくれるドクロンを、息子は楽しみにするようになりました。
ある時は、なかなか現れずに(私が じらした)、息子が「おーーい!ドクローーン!」と何度か呼ぶとやって来て、「ちょっとご飯食べてた」とか「お待たせ! さっき日本に帰って来たとこ」とか言い、息子が「何食べて来たの?」とか「どこの国に行ってたの?」とか聞き、ドクロンはそれに答え、会話が続き・・・、やがて「もう寝ようか…、おやすみドクロン、また明日ね」と眠るのでした。
息子の方も、部屋が真っ暗になってドクロンがやって来ると、今日はザリガニ釣りをしたとかお姉ちゃんとケンカしちゃったとか報告しては、一日の出来事を振り返ってみせ、ときには困り事を「どう思う?」と相談したり、逆に、ドクロンの悩み(私が創作する)を息子が聞いてやってアドバイスしたりするようになり・・・、いつしか、息子とドクロンは、めっちゃ仲の良いともだちに なっていきました。
と言っても、ドクロンの声は私で、私が喋っているのは息子は解っているわけですが、まるで私がそこに居ないような “ドクロンと僕だけの時間・空間” を、息子は楽しみにし、大事にするようになっていきました。
いま思い出しても面白いし、愛らしい息子でした。
この間、息子夫婦が孫と遊ぶために来てくれたときに、「覚えてる? ドクロンのこと」と訊いたら、ちょっと恥ずかしそうにしながらも「懐かしいなぁ、一時期、毎晩 “来てくれてた” っけね・・・」と言って、お嫁さんにドクロンの説明をしてました。
そして、「あれって、じつは凄くない? お母さんの創造性と俺の創造性・・・だよね。で、結構なセラピーじゃん」と言っていましたが、そうかもしれません。
大きくなった息子は、相当なアニメオタクになりましたが、小説もたくさん読みます。
ファンタジーの世界と現実の世界のバランスを取りながら、彼らしい 優しい歩き方を しているな、と思います。
30歳を過ぎた今も、小さな生き物たちとも、見えない存在たちとも、話します。すぐに仲良くなります。
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