お客様が、3歳のときの話、といって話してくださいました。
母親に病院へ連れて行ってもらった帰り、その近くの神社に出ていた露店で綺麗な飾り物を見つけた。
いいなぁ欲しいなぁと思ったのだけれど、言えずにいた。
そうしたら思いがけず母が、欲しいのか?と聞いてくれたので、頷くと、母は勘違いをして、その欲しかった飾り物ではなく、近くにあったヨーヨーを買ってくれた。それじゃなくてあの綺麗な・・・とは言えなかった・・・。
そんなお話でした。
似たような体験をたくさんしている私には、あぁよく分かるなぁと思えるお話でした。
おそらく、珍しく「欲しいの?」と尋ねてもらったその彼女は、お母さんがせっかく買ってくれたものを「違う。欲しいのはそれじゃなくて・・・」と言えなかったのたのだと思います。嫌な顔をされたくなかったか、がっかりさせたくなかったか、とにかくそんなことは言っちゃいけないと思ったか・・・。
いずれにしても、3歳にして既に、子どもらしく無邪気に自分の望みを伝えることが出来ない、親に気を使う子だったのだなぁ・・・と、切なかったです。
私もそういう子どもでした。
欲しいものややりたいことは言えないし、逆に、欲しくないものや やりたくないことを 欲しい やりたいと言うし・・・、親の都合を過剰に想像し、親の期待になんとか応えなくちゃと思い、よく嘘を言いました。
それは、相当早い段階で「これを言っても叶わないだろうなぁ」「伝えても否定されたり叱られたりするんだろうなぁ」あるいは「こう言ったら喜んでくれるのかなぁ」・・・そんなふうに思ってしまうクセをつけざるをえない体験をたくさんしていたためなのですが、何事も、「親がどう感じるか」「親にどう思われるか」次第だったことを思います。
ほんとに怖かったのだと思います、愛されないこと、見捨てられることが。
私は40代になると、いろいろと心に不具合が出たり 生きづらさもMAXになって、いろいろなセラピーやワークに取り組みました。
そのなかで、無知で無力だった小さい自分に ”会いに行って” 話を聞き、癒し育てることや、間違った思い込みは解いてあげ、知らないことは教えていく、そういうことを うんとやりました。
「傷ついて怯えていたインナーチャイルド」を助けて元気にしないことには、真に幸せな人生には なっていかないんだ、未完の感情というのは、どんなに古いものでも威力を持っているものなんだ、と思い知ったからでした。
そんな私なので、「傷ついたままの小さな私」を持て余している方、蔑ろにしてしまっている方みなさんに対しては、「罪のない小さい自分に全力で味方をして、元気にしていってほしい」という希望をお伝えすることがよくあります。「どうせ」で生きていかないで、と。
人生って、インナーチャイルド(傷つきを癒せておらず、萎縮、いじけ、諦めの状態にある 小さい自分)が回復して元気にならないと、幸せなものにはなっていかないし、
そもそも、長いことずっと生きづらかったり幸福でないと感じているにもかかわらず、小さい頃に体験した困難な環境の影響を、軽く見たり無視したりしている人が多いですが、そこは大いに関係しているんだと認めないことには・・・と思います。
インナーチャイルドを、(いまの)自分から切り離しておいてはいけないんです。
ちゃんと本音を語らせ、面倒を見て育て、いずれは《統合》して、一緒に人生を創っていくんです。
そこを理解してほしいと思います。
ピンときた方、モヤモヤが晴れない方、どうぞセッションでお話を聞かせてください。
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