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許せないのに許したことにしない

生きづらさを抱えて生きている人が、その原因として、いわゆる毒親のもとで育った影響のせいなんだ・・・と気づいた、その後の話です。

もしかしたら初めは、長年の辛いあれこれは、親からされた、あるいはしてもらえなかったことのせいだったんだと思うことができて(原因が判った、と思えて)ほっとしたかもしれません。
でもその後にやってきたのは、強い怒りや恨む気持ち、それから悲しみや寂しさ、あるいは抑うつ状態・・・と、とても しんどい感情、状態であったことでしょう。そんなタイミングでカウンセリングやセラピーを受けてみようか・・・と思って動く人も多いです。

で、その後なのですが、「親を許せない」と思う気持ちを抱いたままでいることが辛くなってしまう、ということになるんですね。
「許すこと」って尊い立派なことのように言われているし、ましてや、悪気があったわけでもなく、絵に描いたような分かりやすい虐待(殴る蹴るとか、食事を出してくれないとか、放置してどこかへ行ってしまっていたとか、”いかにも” な虐待)があったわけでもないのに、質はどうあれ育ててくれた親を「許せない」なんて、自分の狭量さや弱さを嫌になったり、自分を攻撃してしまったり、罪悪感に覆われて、苦しくなるのでしょう。

でも私は、それは理解できますが やっぱり、「許せない」ものを許せたことにしてはだめだと言いたいんです。

小さくて、ものを知らず無力だった自分、他所へ行くわけにはいかなかった自分が、たくさん我慢をしてたくさん傷ついて、親が自分を慈しんでくれないのは自分には愛される価値がないからなんだなどと間違った思い込みを強化しながら、やっとの思いで成人して、
そして自分が出会った説「あなたは悪くなかった。悪いのは不適切な養育しかできなかった親のほうです」に「え?そうなの?そう思っていいの?」と一瞬希望を持ったのに、結局、「許さなきゃだめだ」「許せないお前はろくでもない」というどこからかの声に負けて、見出した光みたいな「あなたは悪くない」を手放すなんて・・・、そんなことしちゃだめです。
許せていないのに許したことにして、そうして元気に幸せになっていった・・・という例を、私は見たことがありません。

とりあえずのセラピー上の話と思えばいいんです、「親を許さない」は。 実際の親に危害を加えるという話じゃない。
決して、許せないという気持ちに蓋をして無かったことにしたりせず、「そうだよなぁ、あれは辛かった。許せなくて当然だよ」と全面的に小さい自分の味方になって、古い辛い感情を、ひとつひとつ丁寧に味わって、それを手放していく、ちゃんと癒されていくことが必要。それを解ってほしいのです。

古い感情を侮ってはいけません。どんなに古いものでも強い感情は、ちゃんと感じてあげない限り、消えてなくなることはないんです。いつまでもいつまでも、”いい歳になった” 自分の人生に、影を落とすし悪さをします。
いつも重苦しいし、どことなく不機嫌で人を緊張させるし、なぜか不幸なほうへ舵を切ってしまう・・・。

カウンセリング、セラピーも、「親を許す」ことを目的にしないことです。
とにかく、自分が抱えたまま歩いてきた ネガティブな感情は、安全な空間でしっかり、解放していってください。
もちろん、何回かのセッションや 数か月の心がけで、キレイさっぱり無くなるものではなく、年単位で考えなくちゃいけない取り組みになるはずですが、この先の人生を晴れ晴れと生き生きと元気にやっていくために、頑張って取り組んでいただきたいと思います。

ほんとに癒されたら、許すも許さないも・・・、もうどうでもいいなぁ・・・と、思えるようになると思います。
それを信じて、親を許す前に自分が癒されて楽にならなくちゃ、と、自分の手当てに熱心になってください。

応援します。

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