口を開けば愚痴や溜め息…という人、いつも何かに悩んでいる人、というのがいます。
よかれと思って援助やアドバイスをして、その問題を解決しようとしても、その人はじつは解決を望んでいないので、納得、満足しません、不快な反応を見せたりします。心が健康な人は 何なのだ? 何故なんだ?と思いますが、「ただ聞いて、そして優しい受け止めをしてくれることだけを望んでいる」のです。
その人は、その嘆かわしい事態や悩み事を、失いたくないのです。
常に何かに困っていること、何かを悩んでいることが必要なのです。
なぜって、可哀そうな自分であれば、周囲からの注目や気遣い、愛情を向けてもらうことができるからです。
その人は、問題を解決して変化、成長しようなんて、思っていないわけです。
そういう人は、幼い頃から支配的な親によって「自由に生きていく力」を奪われていたり、無条件に愛されて自分はこの自分でいいんだという「安心感」を得られていなかったりします。
“かまってちゃん” なんていう言い方がありますが、これ、若いときはまだしも、50歳でも80歳でも、精神的に大人になれていなくて “かまってちゃん” ということはあるんですよね、いい歳をして 子どもみたいな態度と自分は可哀そうなんだという言い方で回りをうんざりさせている人っているでしょう? ちょっと厄介ですね、一生そんなふうだと。
「問題に向き合って解決し、成長していきたい」という健やかな「成長欲求」、
「とにかく関心を向けてもらい気遣われ守られ安心したい」という「退行欲求」・・・
「成長欲求」で生きている人なのか、「退行欲求」で生きている人なのか・・・、相談室でご相談を受けるとき、この方はどちらかな、ということを、私はしっかり見ています。問題を解決して成長しようとしているのか、それとも、共感的な態度で受け止めてほしいだけで問題の解決は求めていないのか、によって、提供するものが全く違うからです。
仕事で相談を受けている人でなくても、日常生活のなかで、誰かからの愚痴や、終わりのない悩み事を聞かされて困っている・・・という方は、この視点で眺めてみると、納得がいくかもしれません。
身近な人に、たびたび延々と グチグチとメソメソとやられちゃうと、消耗してしまうかもしれませんが、「この人は 子どもでいたい人、他人からの関心や愛情が欲しくて仕方がない人なんだなぁ・・・」「悩ましい状態が必要で、手放せずにいる人なんだなぁ・・・」と思って見てみてください。
“問題の解決を一緒に考えてあげる” ことなど無駄なんだと分かり、心に余裕が生まれ、振り回されて疲れる・・・ということは減るかと思います。
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