人が人生に求めるニーズのひとつに、「お役に立つ、貢献する」というものがあります。
「自分はそういうタイプじゃない」「自分には無理」「今は自分のことに集中していて余裕がないから、さほどそのようには思わない」という人でも、何か、誰かの役に立つこと、貢献することの喜びは、必ず知っているものです。
でもこの「お役に立ちたい、貢献したい」という欲求が、明るく温かく力強いもの、純粋なものでなくて、強迫的なもの、悲壮感に満ちたもので、良いことであるはずなのに息苦しい・・・ということがあるなら、その出処を見つけ出してほしいと思います。
きっと、不安や怖れが動機になっていることでしょう。
そうでなければならない、それができなければ嫌われる、見捨てられる、存在の価値がないんじゃないか・・・というふうに。
そう感じてしまう人は、こころの境界線を正しく設けることができていません。
人は子どもの頃、何か良いことがあれば「自分のおかげ(自分がいい子にしてたから)」と思うし、悪いことがあれば「自分のせいだ、自分が悪い」と思いがちです。
ピアジェ(20世紀のスイスの心理学者)も「子どもは、自分の周りで起きていることは、すべて自分が引き起こしたと信じる傾向がある」と言っています。
程度の差はあれ、人は子どもの頃に「他人の感情や態度は、自分次第なんだ」と学ぶのですね。
それが大きくなるにつれ、「自分が出来るのはここまでだ、ここから先は無理だ」、「これは私の問題だけど、これは相手の問題だ」というふうに、他者との間に適切な境界線を引けるようになるわけですが、
小さい頃に、その境界線を作っていく過程で傷つき、そこが修復できないままでいると、相変わらず(子どものように!)、何かと自分のせいなんじゃないかと考え、自分がどうしたいかより他人がどうなのかを想い、他人の要求、他人の期待に応えることを第一に生きていく・・・ということをしてしまいます。
自分は他人に影響される、ということもあるし、他人は自分が影響して幸せにも不幸せにもなる、と思い込んでいる・・・。
ほんとうは、お互いに正しく境界線を守り、お互いの “こころの敷地” を尊重し、立ち入らないこと、その上で相手を思い、相手と交流できるのが、健康な大人です。
境界線があやふやだと、引き受けすぎるし、頼ったり押し付けたりしてしまうし、うまいこといきません。「入らない、入らせない」と閉ざすのもまた、よろしくないですが。
こころの境界線の問題は、適切に引けている気がしないという人にとっては奥深い課題(相当、難題だという人も・・・)ですが、
真の自立、真の交流、真の貢献・・・という大切なことのために、よく点検し、必要に応じて見直し、作り直すとよいと思います。
ご相談ください、お手伝いします。
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