郷家さん、先日はお世話になりました。人生初めてのカウンセリングでしたが、収穫いっぱいのとてもよい時間でした。
自分は、自分で言うのもなんですが真面目で気遣いもできるほうで、この人だと思った人にはよく尽くすのに、なぜかいつもカラ回りするし報われず、それどころか、好き勝手に楽しそうにしている人より酷い目に遭う気がする…。そんなご相談をしました。
郷家さんの繰り出す言葉はどれも心にしみましたが、一番ぎょっとして心に刺さったのは、「見捨てられ不安」という業界用語?でした。初めて聞いたのに、それだ!それのせいだったんだ!とピンときて、カウンセリングの帰り道、落ち込みもしましたが、ここから自分は生まれ直すんだ、というような覚悟が生まれた気がします。
自分は自分でいい。何をしようがしまいが、それにかかわらず、自分には価値がある。私は私らしく幸せになっていい。
そんなふうに初めて思いました。そんなふうに思ったことがなかったというか知らずに生きて来てしまった自分は可哀そうだったなと思ったら、泣けて仕方なかったです。
今年もう一度伺いますので、話を一歩進めさせてください。どうぞよろしくお願いします。
先日ご来室くださったKさん(40代女性)からのメールを、許可をいただきご紹介しました。
「見捨てられ不安」というのは、大きければ大きいほど、人の役に立とうと思ってしまいます。
自分のことを犠牲にしてまで人に尽くしてしまいます。
喜ばれることもあるけれど、いいように使われたり搾取されたりしますし、軽んじられます。恋愛も大抵、うまくいきません。
これは何故かといったら、「人に喜んでもらえてこそ、自分はここにいていい」「人に喜んでもらえないような自分には、価値がない」と信じているから、”いつも必死” だから、なのですね。
“必死に自分に尽くしてくる人” のことを、人はよいとは思わないです、残念ながら。
「重いな」「かえって負担なんだよな」と思ってしまう。「なんか気味が悪い」とか。
ずっと「役に立とう」「尽くそう」で来てしまった人が、他人のためでなく自分のために、自分の幸せのために生きるんだ、と思っても、初めは しっくりこないかもしれません。
でもやっぱり、自分が嬉しいのか、自分が喜んでいるか、自分が幸せだと感じられるか・・・。
それを、行動の動機と目的にしなくては。
Kさんの新習慣。Kさんの「生まれ直し」。
喜んでお手伝いさせていただきます。
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