2025年あけましておめでとうございます。
明日より開室いたします。今年もよろしくお願いいたします。
今年も 昨年に引き続き、銀座にての対面セッション枠が従来より少なくなりそうです。
セッションご希望の方は、ご予定が立つようでしたら お早めにお申し込みくださいませ。
また、オンラインセッション、メール相談も、よろしければご検討ください。
どうぞよろしくお願いいたします。
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さて、昨年末、お客様がくださったメールの中に、ドラマ『海に眠るダイヤモンド』を視聴して…ということで、感想や 気づき、考えたことを書いてくださったものが何通かありました。
私と会うと、いつもドラマの話になるお客様たちからのメールですが、『海に眠る…』については今だに余韻を残している私なので、皆さんからのメールを拝見して改めて、あのドラマが届けてくれたものの大きさに胸が熱くなりました。
人って、辛く重い体験をした〈私〉を、その時その場所に、残したままにしてしまう、ということをします。
私も、そういうことをした覚えがあります。みなさんにもあるんじゃないでしょうか・・・。
でも、その後しっかり生きて力をつけると、 何かとの、誰かとの出会いをきっかけにして、 “迎えに行ってあげる” ことができる・・・。
私は、できることなら その “迎えに行くこと” のきっかけになりたい、お手伝いがしたい、という思いを持ってご相談に乗らせていただいているところがあるのです、じつは。
だから、ドラマを見て、ご自身の中にいる「迎えに来てほしいと思っているに違いない 過去の〈私〉」の存在に気づいた・・・というお話を聞くと、すごく嬉しくなるし、感動してしまうのです。
あのドラマの終盤、こんなシーンがありました。
あの日、待ち合わせに現れなかった鉄平をずっと待っていた朝子と、いづみさん(80代になった朝子)が対面する、if の世界のシーンです。
「私の人生はどがんでしたかね?」と若き日の朝子に訊かれたいづみさんは、「朝子はね、きばって生きたわよ」と答えていました。
“きばって生きてきた” 朝子は、あの日あの場所で凍り付いて蹲ったままになっていた自分を、”迎えに行くことができた” んですね。
「迎えに行ってあげたい〈私〉」の存在に、うっすらとでも 気づいている方がいらっしゃったら是非、お話を聞かせにいらっしゃってください。お待ちしています。
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