郷家さん、ご無沙汰しております。M.Mです。
伺ってから半年以上が経ってしまいました。6月に伺ったときに、次回はいよいよ…と自分で予告をしたくせに日々の忙しさにかまけ…というか、怖くなったからか忙しいことにして、ずっと気になったまま年を跨いでしまいました。こうしてメールを書いていても、なんだか言い訳がましくて情けないです。
でもやっぱり、いつかは一度ちゃんと向き合って解決したほうがいいに決まっていて、それは自分でもよく分かっているので、暖かくなったら伺いたいと思います。
それまでは、たぶん日常の些末な事柄の処理をこなしながら行くくらいになると思いますが、自分では見きれない部分があってそのせいで苦しいということを忘れずにいます。
以上、やる気はあるのに怖気づいた私からの、新年のご挨拶でした。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
一昨年からご利用くださっているMさん(40代女性)からのおたよりを、許可をいただきご紹介しました。
私がご縁を持つお客様の多くは、ご自分の人生をちゃんと生きよう、そのために必要な問題(深いところにある問題)を解決しよう、と思ってご相談にいらっしゃいます。(ほんとは誰でもそうで、みんな一生懸命生きているわけなんですけど、そこまで意識できていなくて、ただ目の前の問題さえ解決すればいい、とにかく辛いんだ、というふうにしか思えない人もたくさんいます)。
でも、深い問題に取り組んでみるにはやっぱり、時間の余裕、心の余裕が必要ですし、タイミングというものもあります。それに、この寒い時期に(苦笑)、ハートを開くこととか 問題の “天日干し” みたいなことをしようと思っても大変です。
いつも私は言うのですが、「人生、やり過ごすためにあるんじゃない」ですから、いつかは、ご自分を縛り 力を奪っているような問題や、手放したいパターンがある、というような場合は、それらから解放されて一段レベルを上げていく、ステージを変える、ということを目指してセッションの機会を持ってみればよいと思います。
でも、そんなふうに意気込むと、だめだ、無理だ、エネルギーが足りない・・・、ということになったりしますから、力が集められない、傾けられない、というときは、「応急処置」「ちょっとしたメンテナンス」くらいでよいと思います。
「気づいている」「意識することができている」だけでも違いますから、ましてや「カウンセリングの申し込みをして、時間を作って、相談しに行く」という行動を起こせたら、そりゃもう、全然違います。心はそれだけで楽になったり元気になったりするでしょう。
ということでMさんには、”暖かくなったら” でもいいし、 “とりあえず心の水槽の水を掻き出して溢れないようにしておく” でもよいので、気持ちが向いたらまたいらっしゃってください、とお伝えしました。

この記事へのコメントはありません。