庭で花の手入れをしていたら、家の裏手から、お母さんと子どもの声が聞こえてきました。
お母さんは、「もう! 心配するじゃないのっ!」「心配させないでよまったく!!!」「あ~心配したぁぁぁ!!!」と、何度も何度も「心配」したと言って怒っていました。
姿は見えなかったですが、たぶんまだ小さい子どもは しきりに謝っていて、そのうち二人の声は遠ざかっていったので、子どもが勝手に外へ出ていって、お母さんは捜索して、やっと見つけて・・・ということだったのかな、と。
子育てしてると、子どもの安全や健康が脅かされている?という状況になって「心配」する・・・ということは、ままあるかと思います。
でも幼い子の養育中はともかく、何かと心配してしまう、自分は心配性だ、心配が仕事のようになってる、という人は、「心配」の対象が “人(大事な人)” である場合は特に、その心配は手放していくことをお勧めします。
「心配」というのは、物事の成り行きなどを気にして、いろいろなネガティブなことを頭の中で考えて、心を悩ませること、心が落ち着かない状態でいることです。
その、心(脳)の活動は、あなたの “いま現在その場所ですべき活動” の邪魔をしてしまいます。”身が入らない” 。
本来やらなきゃならないことに対して注ぐべきエネルギーが不十分になります。よろしくないです。
それから、誰かのことを「心配」している、というのは、その人を信じられずにいる、ということだし、
その「心配」には、その人をコントロールしたい、支配したい、という「欲」が裏に張り付いているものです。
何かと《呪い》になってしまうことがあるのです。これも、いいことじゃないですね。
だから、案じるのは仕方ないとして、それをきつく握りしめて固まっていないこと。
気がかりがあったら、そのことがうまく運ぶよう気を使って策を講じ、手配をすること。
それをしたら、あとは信じている・・・。
そんなふうにもっていけるようになるといいです。
そのためにはやっぱり、実戦練習です。
大切な人に、心配という名の呪いをかけてはいけません。

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