以下、お客様からいただいたおたよりを、許可をいただいたのでご紹介します。
********************
郷家さん、先日のセッション、ありがとうございました。
今回は、話を聞いていただいて楽になったおかげで、親のこと、家族のことを、新しい視点で眺め直してみようかな、という心の余裕が生まれたことに気づけました。
郷家さんのお話を伺っていて思ったのですが、自分は、自分のつらさや淋しさに気づいてほしくて、分かってほしくて、あれやこれやと家族に対して ちょっかいをかけて、でも何をしたって気づいてはもらえないので、そのちょっかいは激しくなって、結果よけいに嫌がられ、うんざりされ、聞かなくてもよかったことまで聞かされて傷つき・・・という悪循環から抜けられなくなっていたんだと思いました。
まるで、「鬼ごっこ」で、すぐには見つからない すごく凝った隠れ場所に隠れて、見つけられるもんなら見つけてみて!とか、早く見つけて!とか、自分の方は思っていたのに、鬼のほうは、もうとっくに鬼ごっこなんかしていなくて、鬼ごっこで隠れている子がいるなんて忘れて、家に帰ってしまった・・・そんなかんじだと思いました。バカらしいし淋しいです。
親や家族であっても、自分ではないという意味で「他人」ですよね。いつまでも自分の幸せと不幸が、他人の言動に左右されてしまうようではだめだなと思いました。郷家さんが以前ブログに書いてらっしゃったように、主体を他人に譲らず自分自身に取り戻して、自分の人生を責任もって前へ進めていかなくてはなりませんね。
いつも気づくきっかけをくださってありがとうございます。
また、私の人生(の前半戦)を総括する作業に、力をお貸しください。よろしくお願いいたします。
********************
ご紹介を許可していただきありがとうございます。
Kさん、40代女性。昨年からときどき来てくださっているお客様です。
親は自分のことを解ってくれない、家族の中で自分だけが外れていて孤独・・・。
こういうとき、もう家族のことはいいや、諦めようと思う気持ちと、でもやっぱり家族なんだからいつかは解ってくれるだろう…と、家族というものへのロマンを捨てられうに求めてしまう気持ちと・・・。
わかるなぁと共感する方も、多いのではないでしょうか・・・。
でもKさんが書いてらっしゃるとおりで、「鬼ごっこ」の鬼も、一緒に隠れていたはずの仲間も、きっともう自分を置いて帰ってしまっている、自分は見つけに来てもらえないんですよね。
これ、認めて受け入れるのって、寂しいことですが、ひとつ大事なことかもしれないですね。
何かやりようがあるんじゃないか・・・って思ってしまうの、すごくよく分かるんですが、やっぱり、家族であっても異なる次元に生きていて違う人生を生きている、ということはあって(というかそのいうケースは多いんだと思います)、そうであれば、一緒に行かれるわけじゃない、ということですね。
無理せず、へんに勢いをつけて決着をつけようとせず、丁寧に、自分とよく相談しながら、納得のいく人生を創っていってほしいと思っています。
Kさん、またいつでもお話しにいらっしゃってください。

この記事へのコメントはありません。