ちょっと買い物があって百貨店の家庭用品の売り場を歩いていたら、50代くらいのご夫婦の「そんなの〇〇円くらいのもん贈っときゃ十分だろうよ」「でも、〇子のときに△△をいただいちゃってるし・・・」という会話が聞こえてきました。
儀礼的に何か贈らなくてはならない状況で、品物を選んでいたのでしょう。
なんでもいいから返礼品を選ばなきゃ。そんなこともあるかもしれませんけど、なんだか、ね・・・。
今は昔と違っていて、内祝いとか何かの返礼品は省略させてもらうとか、商品カタログを送ってお好きな物を・・・ということにしたりとか、そんなふうなことも多いですね。
それも一つの考え方で よいのですけれどね・・・。昔はそれこそ ”もらっても困ってしまうもの” をいただくことが結構あって、「う~む、使えないけど捨てずらい・・・」なんてことになっていましたっけ。
まぁ、儀礼的な 物のやり取りは別なんですが、私は、誰かが誰かのことを想って、(気に入ってもらえるかどうかわからないけど)物を贈る・・・というのを、すごく尊いなぁと、年を取ってきてから特に、思うようになりました。ちょっと自分の趣味の違うものなどであっても、とにかく嬉しいのです。
「たまたま街を歩いていたら、あなたが好きかな?と思ったから買ってみた。よかったら使って」
とか
「旅先で買ってきたの。おひとつどうぞ」
とか、そういうの・・・。
自分を思い出してくれて、買ってくれて、届けてくれた・・・。その気持ち、嬉しくて仕方ない。
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私の娘は、いわゆる「すごくお金のある、真に上品なお家」の息子と結婚したのですが、娘婿も、そのお母様も、親戚の人たちも、すごくマメに、ちょっとした物を贈ってくれるし、さらっと葉書を書いて送ってくるし・・・という人たちなんですね。
お母様から娘のところに届く荷物をときどき見るのですが、よく考えて詰めてくださったことのわかる品物とともに必ず、心のこもった達筆のメッセージが添えられています。
またこの間は、お父様の妹さんから孫娘へ、読みやすい丁寧な平仮名で、「3さいのおたんじょうび、おめでとう! げんきにあそんでますか? なにがすきかな? またあそうぼうね」と書いた可愛らしいカードが届いていました。
まだ文字の読めない、一度しか会ったことがない甥っ子の娘に、こうして送ってきてくれるのって、ほんと素敵だなぁと思いました。その叔母さんは芦屋のお屋敷に住んでいる すごく綺麗な方。笑
もちろん、お金持ちもいろいろ・・・なんですけど、私は娘の結婚相手とその家族親族の そういうところ(・・・物や言葉をちゃんと贈るという習慣)を見るにつけ、心に余裕のある、愛情表現がきめ細やかで温かい・・・そういう人たちっていいなぁと思います。尊敬する。
人に何かを贈るときは、”これくらい贈っときゃあいいだろう” なんていうんじゃなくて、感謝の気持ちとか祝意とか、「喜んでくれるかな」とか「慰めになるといいな」とか そういう気持ちを、ちゃんと込められる人でありたいと思います。

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