「自分には友だちが少ないのです」というお話を聞くことがあります。
あなたは「友だち」多いですか? 「友だち」の定義によるかもしれませんね。
そもそも、人とあまり深い付き合いをしない、”ともだち” は特に求めていない、という人もいるでしょうし、なんでも話せて、互いの一大事には何をおいても駆けつけ力になる、という人を友だちと言う、ということだと、自分にはそんな友だちはいないなぁ、とか、昔はいたけど今はもう・・・、とか。
逆に、沖縄の「いちゃりばちょーでー」ではないですが、一度会って気が合えばもう友だち・・・みたいに大らかに考えている人もいて、そういう人は、ものすごい数の友だちを持っていることでしょう。
私は、10代20代の若い頃は少数の特定の人だけと深く付き合いたい、友だちは少なくていい、と考えていました。
いま思えば、自分の心も未発達・未開発なところが多分にあったから、自分が「これが自分」と思っていた浅い狭い部分で、合うなぁ楽しいなぁと思えれば、それでよかった、それが「わたしの友だち」だったんですね。
それから、誰かを「私の特別な人」と思って「独占」できていることで安心していられた・・・というところもあったかも。
大人になり人生進んでくると、考えが変わってきて、「友だちフォルダー」に入れる人がすごく増えました。
もちろん、みんなが深くしっかり付き合える友だちではなくて、特定のことで関わった人、結果的に一時的な付き合いしかなかった人もたくさんいますし、お互いの人生のステージが(心理的に)離れてしまって、どうしても話ができないかんじ、仲良く楽しく…は居られないかんじになってしまった・・・という人も。
先日のことなんですが、10年近く連絡を取っていなかった友人から、突然メールが来て、あることで悩んでいた時に私をいきなり思い出したと言うんですね。で、何往復かのやりとりをするうちに、親しくしていた10年前のあれこれなども懐かしいねとお互いに綴ったりして、あぁ、繋がる人とは何年経っても再び繋がるんだなぁ、縁の深い人ということになるんだなぁ・・・と思って、ちょっと感動しました。
「友だち」のなかには、二度と会うこともないんだろうなぁと思える人もいますが、だからってその当時は、いっぱい話をしたれっきとした友だちだったのだから、人生振り返ったときには「私の友だち」のひとりです。
「友だち」って、厳選して少数とだけ・・・と決めることもないし、逆に、浅く広く保っておくのがいいというわけでもなく、その時その時の自分が、楽しく、誠実に、やりとりできて、好きだなぁこの人・・・と思える人なら、付き合う頻度や親密さや交際している時間の長さによらず、「友だち」ということでいいのだと思います。
人数はともかく、「よい友人を持った人生だった」と言えたら、それは素敵なこと、と思いますね。

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