ひとつひとつが「最後」

10日ほど会わなかっただけなのに、孫娘たち(3歳と1歳)が それぞれに びっくりするような成長をしていました、運動能力とか、言葉の発達とか。
「まぁ!この間はできなかったのにラクラクやるようになって…」、「言いたいことが言えなくてイライラしてたのに うまいこと言うようになったんだね」って・・・。

これは喜ばしいこと嬉しいことなんですけれど、私、なぜかほんのり…ほんとにほんの~りと、寂しくなってしまったんです。自宅に帰って、小さな額に入れて飾ってある、少し前の二人の写真を見たときに・・・。
ああ、今日の二人はこの二人じゃないんだなぁ、今は今で もちろんとっても可愛いけど、この写真に写る かつての小さな二人には、もう二度と会えないんだなぁ・・・と。
私は 最大限の全力の関わりができていたのかしら、せっかく遊びに来てくれた時も、時間が経つごとに疲労して、そろそろ帰って またにしてくれないかな…とか思ってしまったよね。
孫だけじゃない、今や2児の母になった娘は、もう一生 “お母さん” だ。”気ままで自由な独身娘” だった娘とは、もう二人旅とかサシ飲みとかをすることはない・・・
息子だって、以前はよく電話やLINEをくれて、世間では珍しいかもしれないけれど、結構 深く楽しい “母と息子の語り合い” を延々した、でも結婚して伴侶を得た息子とは、そんなことはできない・・・(してるようじゃ困るけど・・・)

などなどなど・・・。

家族とのことだけじゃなく、友人たちとの長いつきあい、短いつきあい、都度がんばっていた幾つかの仕事にも、もう「最後」を迎えてしまったものが、たくさんあります。

そのときは、それが最後になるとは思っていなかった、数えきれない幸せな出来事。幸せな時間。
最近よく、その結果的に「最後」になってしまったことを想っては切ない気持ちになるのです。(年のせいで ”走馬灯” が始まったのか?)

このかんじ、年の近い方は、わかってくださるかしら・・・

でも、あれが最後だったんだなぁ…と切なく思ったりする一方で、自分の人生には、もう2度と体験できない幸せなあれこれが たくさんあったのだな、数えきれない「最後を迎えたもの」が私の人生を形作っているのだな、という気づきに、胸いっぱいになったりもする今日この頃です。