叔父(83歳)に会いに行った話

いくつかの用事が関西地方にあったので、京都に住む叔父(83歳)に会ってきました。
最近私は、自身の戸籍を取った時に見つけた “ビックリ情報” をきっかけに、家系図を作ってみたりしていたのですが、母の弟(一族の中で最も頼りになる人でした)に会って、いろいろな話を聞いてみたいと思ったのです。

叔父とは10年以上前に親戚の法事で会って以来でした。
叔父はもともと、ハンサムで優秀な人で、とにかく私のイメージする叔父は “しゅっとした人” でしたが、久々に会う叔父は、どこからどう見ても “普通のお爺さん” になっていて、軽く衝撃を受けました(…って、叔父の方も還暦を越えた姪の、肥えた姿に驚いたと思いますが…)。

叔父は、私が持参した家系図を見ながら、「家族の思い出」・・・私にとっては初耳の話を、たくさんしてくれました。
ほんと、思い切って会いに行ってよかった。

「そういえば叔父さんは、岩手に生まれ育ったのになぜ京都へ?」と訊いてみたら、こんな話をしてくれました。
家が貧しくて参加できなかったという、高校の修学旅行先が京都だったそうで、
「京都、行ってみたかったな、という思いが残ってたんだけど、高校3年生のときに、後に進学することになる京都の大学が東京で受験できると知って、ダメ元で、当時東京に住んでた兄貴の家から受けに行ってみたら受かったんだ」
「それで、就職も京都でして、家庭も持って、それからこれまで60年、京都なんだ」
と・・・。

家が貧しくて修学旅行に行けなかったとは、切ない話だと思いましたが、でも叔父は、
「いや、五人きょうだいのなかで、一番割を食って苦労したのはお姉ちゃん(私の母)だよ」
と言って、家計の厳しさを察し中学校を出てすぐに家を離れ働きに出たという母の話をしてくれました。
就職した製糸工場は いわゆる “女工哀史” の世界で、相当酷い目に遭ったし、その後も “お手伝いさん” として住み込みの仕事をしたりしながら家族は仕送りをしていたという母は、結局それ以降故郷へ戻って家族と暮らすことなく、お嫁に行ったんだからね、と・・・。

貧困の話や、家族それぞれが皆を思いやって我慢をして生きてきたところがある、などという話は、
かつての、古傷の手当てができていなかった頃の私だったら、たとえそんなことがあったとて、辛抱や忍耐や無欲であることを子どもに強いるな!と思ったでしょうけれど、今の私には素直に労りや憐れみや敬意をもって聞ける話なのでした。

もう長らく心臓を悪くしていて調子のよい日ばかりじゃなくて・・・と言う叔父でしたが、
「でも近いうちに、お姉ちゃんと次兄(いずれも埼玉在住)に会いに行くよ。お姉ちゃんの認知症が気掛かり。まだ僕のこと分かるよね?」
と、別れ際に言うので、ぜひ、この冬を越えて暖かくなったら泊まりに来てね!と言って再会を約束して別れました。

血縁、魂のご縁、という視点で、確かに自分に継がれているものに思いを馳せたり、好ましくない連鎖は断ち切らせてもらうよ、と静かに宣言してみたり・・・
帰りの新幹線は、不思議な感覚を味わいながら、ずっと目を瞑っていました。”何か” が自分に降り注いでいるような安心感に包まれながら・・・。