“私の” 物語だから、ということ(認知症の母の介護)

先日の記事「母(要介護3)の今とこれから」を読んだ何人かのお客様から、セッションの中で、あるいはメールで、
「身につまされた」
「自分は今後どうするかな、と考えてしまった」
「私はきっと、母に近づけずに介護から逃げてしまうと思う」
などと言われました。

「どうして、愛着を持てなかったというお母様に、できるだけのことをしてあげようと思えるんですか?  きっと、よかったな…と思える結末にはなりませんよね?」というご質問をいただいたりもしました。

やっと「毒親」「機能不全家族」という言葉に出会って、それを足掛かりにするように回復の道を探り始めた人にとって、もし今後、介護の問題が出てきて向き合わざるを得ないことを想像したら、あるいは既に介護の問題に直面していたら、それは辛いことだろうなぁと思いました。

こんなことをおっしゃいました。
「自分は、今後、親を介護するために自分の中にある優しさを使える気がしない」
「とにかく、近づきたくない。子どもの頃から触れ合っていな人だし、触れないかも」
「想像しただけで怒りが込み上げてくるし、”積年の恨み” が噴き出す気がするから無理」

私は、そのひとつひとつを「わかるなぁ・・・」と感じましたし、怒りや恨みの気持ちを抱えたまま親の世話をする、介護する、なんて それは無理だよね・・・と思いました。

「郷家さんはどうしてそんなふうに思えたんですか?」
「自分を散々傷つけた人に、どうしてさらに、時間や労力を捧げられるんですか?」

そう訊かれて改めて考えたことを、今日は書いてみます。

私が、”なんの温かい思い出もない”、”理解されず大事にしてもらえなかった記憶ばかりの” 母の介護を、適当にやろうとか逃げてしまおうとか思わないのは、責任感や罪悪感や世間体の話ではありません。

大層な感じになってしまいますが、「私の物語」の一部だから粗末にしたくない、大切にしたい、ということなのです。

私はカウンセリングルームを開業した10余年前から、キャッチフレーズ的に「あなたの物語を大切にする」というフレーズを使ってきました。HPやブログのタイトルなどにも書いていました。
今も、「生きることは自分の物語をつくること」・・・そういう考えで活動していて、HPのトップにもそう書いてます。

私は私の人生の物語をひとつ、創っている最中です。
私のその物語の中では、母とのことは重要なものになるはず(結果的に「自分は親との関係については幸せなものではなかったなぁ・・・。苦労したなぁ・・・」という人はみんなそうでしょう)。
重要な部分だからこそ、「気分が悪いから途中でブツリと切って放り出してしまいました」ということにはできないな・・・と思いました。

ただ、私が大事にしたいと思うのは、目の前にいる母を十分に世話することというより、もう失われてしまったその性質や機能や考えで小さかった私を育てた母を、できるだけ理解することです。
「あぁ、なるほど。お母さんは そういうわけで あんなふうにしかできなかったんだね?」と理解して、さらにそれらをまるっと赦すことができたらいいなぁと思っているんだと思います。

先日の記事にも書きましたが、「 “せっかく”『過酷な初期設定』で生まれてきた」のだから、その意味を考えたい、生かしたいんですね。
だから「母の介護者」という立場を得たことは自分にとって、「母との関係の総括の時間」を与えてもらったことになるんだろうな、とも思っています。

母はもう変わらない…というか衰える一方で、もうほとんど会話が成り立たなくなってきているので、母から何か引き出すということはできませんが、あくまでも “自分の心とやりとり”を十分にやって、お終いにしたい。
そして、願わくは、私の母親があの母だったことの意味に納得してちゃんと受け入れて残り時間を生きていくことで、人としてもっと成長したい・・・というふうに思っています。

だから・・・、毎日疲れるなぁということが起きるし、削られる思いにもなるし、声を荒げてみたり通じぬ嫌味も言ってみたりすることもしばしばあります。どこかの時点で施設に入ってもらうことになると思います。
それでもとにかく、ちゃんと体験していこうと思います、「私なりに やり切ったね」と晴れ晴れと自分に言えるように。

あ、でも、私の友人A子のように、
「あの母親の面倒を見るなんて、申し訳ないけどどうにもこうにも無理だと思った。だから、迷わず施設に入れた。看取りまでお願いする」
「同居を解消して、ときどき着替えや差し入れを届けるだけになったけど、それでよかった。母も私も家族もハッピー」
という人もいるでしょう。A子は、きっぱり決めて実行して、さっぱりしてたなぁ・・・。
そう決断することに何の葛藤も心残りもない、ということなら、それでいい、それが一番、と思います。

とにかく、それぞれの人生の物語、です。