母が居ぬ間に母の大量の服を処分する(母90歳/認知症/要介護3)

この 数か月、母のいわゆる「認知症の中核症状」が、一段と進んだなぁ・・・と感じていました。

憶えていない、とか、物の使い方が分からなくなった、慣れているはずの動作ができなくなった、ということは想定内なのですが、 “意味が分からない変なこと”  をするのでギョッとする・・・ということが増えたのです。

「わからない」「できない」というところでやめてくれればいいんだけど、そのままズンズン進んでいってしまって厄介な事態に陥ってしまうのですが、これはきっと、母の もともとの気の強さや 人を頼ることのできない性格ゆえなのだろうなぁと思います。
「ひとりでできるはず!」「なんとかしてやる!」「誰の世話にもならないわよ!」という・・・。(いや、ひとりでできてないし、なんともなってないし、みんなのお世話になって生活してるんだよ?と言いたい。)

「わからない、できない、って言ってくれたらよかったのに・・・」
「なんで、こんな(意味不明な)ことになっちゃってるの?」
という小事件が起きる度に、老人心理やら人間工学やら母の思考・行動のクセやらを考慮したサポートを工夫するのですが・・・、う~ん、追いつかなくなってきました。

昨日は、母がショートステイに行っていて不在なのを利用して、箪笥3棹+押し入れの収納ボックス(いったい何個あるの?…orz という数です)の中身の整理、処分をしました。

母は夜な夜な 箪笥の引き出しを片っ端から開けて物を出し入れしているようなのですが、朝、着替えの手伝いに行くと、必要な衣類が見当たらないし、季節外れのものを引っ張り出してきているし、箪笥の中を見ると、なんの秩序もないゴチャゴチャな状態になってしまっていて呆気にとられる・・・。
もううんざりだ・・・と思って、強行した次第です。

母は65年前に結婚して、すごく貧しい状態から結婚生活を父と始めたはずですが、頑張ったんでしょう、着る物を少しずつ買って増やし、そして溜め込んできたんですね。
私が子どもの頃に母が着ていた覚えのある服(半世紀前に買ったものになりますね…)も、何点もありました。
それらを目にしたら、なんだか甦ってしまいました。貧しくて窮屈だった家の光景や、幸せそうに見えない険しい表情をした母の顔が・・・。

ショートステイから戻って、古い服が大量に処分されていることに気づいたら、母は怒るかもしれない、嘆くかもしれないですが、
「母よ、受け入れてくれ。箪笥3棹+押し入れ収納にパンパンに詰め込まれた衣類の管理は、もうあなたには無理だよ」
「人にはそれぞれ、持つのにちょうどいい量、ってのがあるんだよ」
「私も管理しきれないし、毎日、宝探しゲームみたいなこと、やれないよ」
ということで。

しかし・・・
不要な “もう生きていない” 物の処分と 役目を終えている物の”供養” をするということがもたらすものは大きいなぁと改めて実感しています。

実際には、捨てる服はまだゴミ袋に詰めて置かれていて、家の中から無くなってはいない、業者を呼んで箪笥を持っていってもらうのもまだ先になりますが、とにかく、滞っていたエネルギーが、整って和らいで、そして動き出す準備をしているのが分かるのです。

断捨離の経験がある方はお分かりになると思いますが、この空気の変化は気のせいではないですね。
不要な物を手放して空きスペースを作ると、ほんとに空間のエネルギーは軽くなり、澄んで明るくなるんですよね。

今回は、母のスペースの作業ですが、私が軽く明るくなりました。
母の所有物とはいえ、”私が” 持っていた、”私が” 背負っていた、からですね。

気持ちを新たにして、また、ぼちぼち頑張ろうと思います。