娘の娘たち(4歳と2歳)を自宅で一日預かって、彼女たちが帰った後 キッチンを片付けていて苦笑してしまいました。
朝のうちに作っておいた焼きそば、彼女たちの好きそうな各種パン、おやつにいいかな?と思って買ったお菓子、麦茶に牛乳に りんごジュース・・・
私が二人のために用意しておいた食料が、「何人分?何日分?」という量だったからです。
最近はまぁそれくらいで だいぶマシになりましたけれど、若い頃の私は、とにかく “自分が誰かに差し出すもの” に自信がなくて、
たとえば誰かに何かを贈る、というときは、こんなものでいいんだろうか・・・、こんなんじゃ喜ばれないだろうな・・・、こっちも念のために用意しておこうかな・・・、とあれこれ考えてしまって、ひとつに絞って「はい!私はあなたにこれを差し上げます!」と言うことがとても難しくて、ひとり憂鬱になったり恐怖を感じたり・・・ほんとに疲れてしまうのでした。
これは、もともと繊細で他者の思いや放っているものに超敏感なタチであった私が、両親(=子どもにとっては世界一大切で、喜んでほしい人ですよね)が 無神経またはド天然で幼い人たちであったために、幾度となく酷いことを言われ、傷つけられたためです。。
よかれと思って何かをしたら「余計なことをするな!」、何かをしないでいたら「気が利かない!言われる前にやれ!」、
喜んでくれるかなーと思って贈った物・・・、誕生日とか母の日・父の日とか、あるいは街で見かけて素敵だな、とか、美味しそう、両親の好物のはず・・・と思って買って帰ったものなど・・・に対しては、かろうじてありがとうは言ってくれましたけれど、でも必ず “ケチ” をつけました。
「この服は見た目ばっかで着心地があんまりよくないね」「こういう食器は座りが悪くてダメだね」「こんなのどこででも買えるでしょ。せっかく〇〇へ行ったなら△△を買ってきたらいいのに」などなど・・・。
30年以上前のことですが、引越しをして間もない両親に、調理も大変だろうと思って夕飯を届けたことがあったのですが、何日も食べず冷蔵庫に入ったままになっていたのでそれを指摘したら、母から「食べようが食べまいが、もらったこっちの勝手でしょ!?」と言われたことがありましたっけ。
父に贈り物をしたときに、それがいつまでもリビングに放置してあったので「ひどいよ」と言ったら、キレて「こんなもの買ってくれなんて言った覚えはない!」と言った・・・ということもありましたね。
とにかく、子どもの気持ちを受け取る、などということが、まるでできない親だったわけなのですが、そんなことが繰り返された10代、20代でしたから、気づいたときには「人に何かを贈るのは怖い」「私の贈るものは・・・、いや、私という存在は、きっと誰からも喜ばれない」というふうに考えるようになってしまいました。
それでも、その思いグセ、思い込みは、生きにくさの大きな原因になっているなぁと思いましたので、「意識して改めていこう」と決めて練習し(プロのお世話になって各種セラピーも利用しました)、自分に対して「両親のあの対応は、いくらなんでもダメだよね、ありゃひどいね」「両親が幼いのって大変だよね。ほんとお疲れさま」と言ってやれるようになりました。
また、てらいなく自然に、あるいは私への思いやりをもって、私に何かを贈ってくれた人たちがいましたので、彼らの行為に「そうか、これでいいんだな…」と教えられ、そのおかげもあって、若い頃と比べたらずっと、自分が良いと思ったものを信じて差し出せるようにはなりました。
・・・なんて言っても今回は、「まーだ こうやってあれこれ買ってしまうんだな、私は」と気づかされました。
今日は、ひとり ふふっと笑いながら、薄味のおせんべいやら「たべっ子どうぶつ」やらアンパンマンジュースで、おやつの時間をしています。昨日の夕飯と今日の朝ごはんは焼きそばでした。
