褒められるのが苦手

誰かから褒められると「いやいや全然です」「そんなことないです」と否定する人は多いです。日本では そういうの、謙虚さや謙遜の意識とされていて。

でもこれ、心が健康な人は単にそういうことかもしれませんが、いわゆる機能不全家族で育って心に傷を負っている…という人の場合、「褒め言葉の否定」には ただの謙遜とは違う理由があるかと思います。

育った家ではきっと、親の褒め言葉の後には必ず、”何か” くっついていたことでしょう。
「よくできたじゃない。でもここがダメだったね」
「やったじゃん。次は〇〇ちゃんに勝てるように頑張りな」
「すごいね。でも、いい気になるんじゃないよ」
というふうに・・・。

よくやった、すごい、と思ったなら、何かさらなる期待とか要求とか戒めなんかくっつけないで、純粋にそのことだけ褒めてあげればいいのに、それができないんですよね、彼らは。

私の親もそうだったなぁ。
小学生の頃、気が向いてキッチンのシンクをピカピカに掃除したとき。
母親に報告したら「綺麗にできたじゃない。今日からは毎日あんたがやってよ」
中学生のとき、市民マラソンで、社会人のお姉さん(国体で入賞したこともあるという人)に数秒差で負けて2位になったとき。
見に来てた父親が「頑張ったな。でも最後の直線でどうしてギアを上げられなかった?」

いま思うと、単に褒めてあげればいいものを・・・と思いますが、私の両親にはどうにもできないことだったんでしょう、ただ褒めるだけ、なんて。

でも、そんな育ちの私は長らく、人から褒められることがとても苦手でした。褒められると褒めた人の思いを勘ぐってしまったからです。褒める目的は何なんだろう、「だけど、ここはダメだったね」と言われるのでは?、調子に乗ってるなんて思われないようにしなくちゃ、などと思ってビクついたりして落ち着かなかった・・・。
褒められたら即座に、防御の構えを取っていたんだろうなぁと思います。

自分は褒められベタだという人は、そういうかんじかもしれません。
純粋に褒めてもらうという体験を、ほとんどしていないし、褒められても、その後に何か、気が重くなるような、かえって自分の至らなさを認識させられるような、そんな体験がセットになってしまっていたんじゃないでしょうか・・・。
そして、褒められるのもヘタなら褒めるのも上手じゃないことでしょう。
これも経験不足なのだから仕方がないところではありますが・・・。

でも、大人になった今、あなたを褒めてくれる人のほとんどは、ただ純粋に、いいね、すごいな、と思って、それを伝えてくれているはずです。
だから、褒められたときは「いやいやいや…」じゃなく「ありがとう!嬉しい」と言う練習をしてほしいと思います。
同時に、(こちらはまた大変かもしれませんが)、他人のちょっとしたことを褒めることの方も、練習してほしいと思います。

私の娘は、結婚してすぐ旦那さんの仕事でアメリカで暮らしたのですが、帰国したとき、アメリカ暮らしはもういいかな(うんざり)…と言った娘が、アメリカ人に影響されて良かったことのひとつに「人をよく褒めること」だと言っていました。
内容は、服装がどうとか、ちょっとしたことなんだけど、褒められた方は、嬉しそうに ありがとう!と言い、その後に相手を褒め返していて、それは自分には新鮮で、こういうものなんだな、こういうのいいな、マネしよう、と思ったと・・・。

褒める、褒められる・・・は脳内でやるだけじゃダメで、やっぱり実戦練習ですね、1000本ノックのつもりでいきましょう。

人からの褒め言葉を、裏のない小さな「贈り物」だと思えて、それにさりげなく「お返し」ができるようになること、そういう自然なやりとりをしながら人と関係していくこと・・・、それは地味だけど自分の人生を創っていくときにすごく大事な習慣、と思います。