心の中の “子どもの自分” の訴えを聴けているか_『Tシャツが乾くまで』

「いい歳の大人になっている今の自分が抱えている問題を解こうというときに、昔々 子どもだったときの親との関係を見ていきましょうか…と言われても・・・」
カウンセリングに来られるお客様が、そのように戸惑われることは少なくありません。

大人になってから直面する問題(繰り返される問題)の遠因というか根本的な原因というのは、往々にして親との関係性の中で作られてしまっているものですが、そこを見ていく・・・というのは、ピンと来なくて無駄な感じがしてしまうか、なんとなく そうかもしれないとは思えても気が重く感じるか・・・

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今週末に最終回を迎えるドラマ『Tシャツが乾くまで』ですが、主人公夫婦、充と咲子を9話まで観てきて、やっぱり彼らの子ども時代を想いました。

充は、「殴られなかったし蹴られなかったしご飯は食べられた」とは言っていましたが、親から必要なケアを受けることや関心を持ってもらうことができなかったようで、そのことと現在までの自分の思考や行動に大きな関係があることに今ひとつ気づいていないようです。失踪癖などは まさにそうなのに。

咲子の方も、過保護・過干渉な母親からの、大人になっても変わらぬ干渉には ほとほと辟易としている様子ではありますが、きっと子どもの頃は従順に振る舞い いい子でいたんでしょう。でもおそらく、大いに傷つき戸惑い元気を失っているはずの “心の中の子ども” をそのままに、憧れや理想へ向かって頑張ってきたであろう彼女の歩みは、結果として4度の離婚歴(バツ4には驚きましたね!)に表れている “独特な” ものになっている・・・。

充も咲子もそれぞれの親から違う形で傷つけられてしまっていて、身に着けた考え方や行動のクセ、価値観、見ているもの・・・もそれぞれですが、二人とも、「自分という存在に安心していない」というところが一緒です。
9話で話し合った二人は、二人の生活をやり直そうと誠実に頑張ったんでしょうに、ラストは ああなってしまいましたね。

最終話で二人は、どうすることにするんでしょう。
一生家族でいようとしたけど自分には難しかった、となるのか、自分たちに相応しい形の繋がり方を見つけてやっていくのか・・・。

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「気遣い」「我慢」ときに「演技」・・・そういうものばかりを使って生活を成り立たせている自分 と 本来の自由な自分。その両者の思いが乖離していればいるほど、生活は、人生は、当然しんどいものになります。
だから、どうやっても生きづらい・・・という人は、しんどくても、「自分はどうしてこうなっちゃったのかな・・・」と考えて、過去を辿って、その生きづらさの原因を見つけ出して手当てをしていくことはとても大切なんだと思います。

なかなか難しい取り組みにはなるかもしれませんが、せっかくの「私の人生」ですから、より幸せなものにできるよう、気合を入れて、心を込めて、やってみてほしいと思います、タイミングを見て「今かな?」と思ったら。

親との問題を見つけていく・・・という作業を一人で進めるというのはなかなか大変で、一時期しんどいものが噴出して辛くなることが多いです。
そういうときにはプロの聴き手、プロの伴走者を使ってみていただきたいと思います。私でよければ、しっかりサポートいたしますから、ぜひご相談ください。モヤモヤもゴチャゴチャもそのままに・・・。

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そうだ、咲子の元夫だという イノッチ演ずる篤彦。
あの人物は素敵な人に描かれていました。バツ2だと言ってましたが、自分の好きなようにしていて、おおらかで、表現が真っすぐで、人生楽しそう。
「俺、すべての判断基準、楽しいか楽しくないかだから」って言ってました。いいなぁ。

炊飯し忘れて “嫁みたいなもん” の心愛ちゃんに怒られちゃってた篤彦と、
炊飯は普通炊きでいいか早炊きにするかと咲子に訊いてた充。
あの2つのシーンは、人生に安心している人と安心できていない人の対比として描かれているようで、うまいなぁ~!と思いました。

私は、この人生ではご縁がなかったですが、篤彦みたいに豪快で優しい、人生楽しんでる人にすごく惹かれます、憧れるんですよね、俺は俺の人生を楽しむ、ってことに何も疑問を持っていないような、心の丈夫な人に。

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