充は「失踪癖」を、咲子は「4度の離婚歴」を打ち明けて、そして「生活」をやり直そうとした二人でしたが、”何を聞かされても変わらずに大好き” な人との生活は、それまで以上に気を遣い思いやりをもって保とうとしても、息苦しさや忍び寄ってくる不安に、耐えられるものではなかったようです。
二人はそれぞれに、結婚するまでの自身のあれこれを踏まえて、そして今度こそは…と願い、実際に10年間という長い時間を一緒に暮らしてきたのにね・・・ということを想うと、切ない決断ではありました。
「夫婦」「家族」でいることの苦しさ、難しさに対して、二人で出した答えなんですよね。
充は初め、咲子からの別れようという提案に、幼い子どものようにやだやだと抵抗していましたが・・・。
二人はきっと、「家族には何を言ってもいいんだよ」「何を言ってもやっても無条件に愛されるんだよ」ということを学ぶことができずに大人になった人たちだと思うので、本音で語り、素を出しても “壊れず続いていく関係” の存在など信じていなかったと思います。
だからものすごく相手を気遣い優しくし、自分を擦り減らしていってしまう・・・という不器用さん同士だったんでしょう。
この決断って、相手に対して もっと不真面目で不誠実だったら、しなかったかもしれないな・・・と思いました。
「花火大会」のチケット、「水族館」のチケット。
あれも、充とあずさ、それぞれが、それが苦手なパートナーを思って、一緒に行きたくて、用意したものだと判りました。松ケンさんの呟きと涙、すごく切なかったです。
ほんとに、充は咲子を、あずさは樹生を、大切に思って生活を営んでいた、「第3金曜日のコインランドリー」は、そこから はみ出たところにあったわけではなく、その生活の中に、そっと置かれていたものだった・・・ということです。
あずさは本当にお気の毒でした。
樹生、充、古本屋店主らの話から、あの日帰りバス旅行は、純粋にあずさの親切心や好奇心によるものだった、あずさらしい行動だったんだと分かりましたけれど、あの明るい しっかり者のあずさの「聞いて聞いて」は、それがあったから淋しくなかった・・・というものだったということですから、あぁそりゃ淋しかったよね、頑張ったよね・・・と、その短い人生を想うのでした。
翔くん、可愛いな。ママが買ってくれておいてくれたおニューの靴をママに見せようと、ママの遺影を履いてる靴に近づけて・・・。
そうだ、「イマジナリーあずさ」のこと。
Xだったかで、あんなに何人もの人のところに出没するなんて、成仏できてないんだな、やっぱり・・・、とあるのを目にしたんですけど、
あれ、”成仏できていない幽霊” なんかじゃないと思います。みんなが作り出した「私のあずさ」じゃないのかな…って。生きている充も、初めの方の回で、同じように出てきていましたからね。
あずさは、自分に会いたくなった人のところに出てきてくれて、その人にとっての “あずさらしい” 佇まいや言葉で、彼らを慰めたり和ませたりしていたのだと思います・・・。
終盤、コインランドリーにいる咲子のところにあずさがやってきて、初めてなのに直ぐに打ち解けた様子で楽しく話をしていましたが、あれは、咲子が「充とあずさの関係」を解った気がするなぁと気持ちを緩ませ開いたからこその “対面” だったと思います。すごくいいシーンでした。
いつでも帰れる「実家」を得て、どこへ向かうのか、のどかな田舎道をバスで行く充。
通路を挟んだ席に座る少年に「どこ行くの?」と尋ね、黙っている少年に「だいじょうぶ。大人になると帰る場所 増えるから」と声掛けてあげていました。あれは、一歩前へ進んだ “おとな充” と、辛くなると宛てなく逃げ出していた “こども充” の対面でした。
ラストシーン。咲子が料理をし二人分のテーブルセッティングをしているところへ、おそらく久々に帰ってきた充が「おかえり~」を言われていました(と思いました)。
また、庭の物干しには、初めのコインランドリーのシーンで樹生が着ていた淡いグリーンのTシャツが干されていたような・・・。ん?
人はみんな、生きている限り変化・成長します。ああやって、こうやってみて、やめて、またトライして・・・。彼らは・・・彼らの関係は、まだまだ変わっていくことでしょう。
その「めんどくさい」営みを続けていく登場人物たちはみんな愛おしく、エールを送りたくなる気持ちで観終えた『Tシャツが乾くまで』でした。
