娘夫婦が車を買って、納車された日。
二人がディーラーに車を取りに行き 乗って帰ってくる間、私は孫娘2人(4歳、2歳)の子守を頼まれました。
娘家族はいまマンション住まいですが、車を所持していないのに駐車場を1台分借りていたので、そこは主に私が訪ねたときに使うスペースになっていたのですが、その日、娘たちが彼らの車を引き取ってきたら、私の車を出さなければならないわけで、そのことを私は、孫娘たちに話して聞かせました。
「パパとママが、もうすぐ車に乗って帰ってくるよ。そしたら、ばぁばの車は駐車場に止めておけないから帰るからね」と。
「えー?なんでー?」と言う二人のために、理解しやすいようにと私は そのへんにあった玩具を使って説明してみようと思いました。
まず、色鉛筆を並べて駐車スペースの区切りラインを作って、そこにズラリと車に見立てた積み木やら消しゴムやらを並べて・・・。
これで解ってくれるかしら? 無理かしら? と思いましたが、二人はちゃんと理解したようでした。
「ここに止まってるばぁばの車(赤い積み木)を びよーんと右の方へ出しまして、空いた駐車スペースに、パパとママの新しい車(青い積み木)が左の方からやってきて、こうやってバックして入れまーす」
と言いながら私がやることを、二人はキラッキラの瞳で身を乗り出して見ていました。
そして、赤い積み木(=私の車)を「バイバーイ! お家へ帰りまーす!」と言いながら “出庫” させて、ブーーンと遠ざかるのを見送った二人はケタケタ笑って、自分たちで、”残った車たち” や “駐車場の仕切り線” を動かしてみたりしながら、遊びを発展させていくのでした。
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幼い子どもの「ごっこ遊び」を見ていると、凄いものだなぁと思います。
まだ地球生活を数年しかやっていなくて、知っていること、理解していることは、大人と比べたらほんとに少ないんだけど、
彼らは、それらをみんな使って、「もし、これがこうだったら、こうなるんだろうな」や「もし、これをこうしたら、こんなふうになるかもしれない」を、すごく自由にやります。
ただの直方体である積み木を、ちゃんと「車」として動かすし、
何も入っていないオモチャのポットには、熱いお茶や冷たいジュースが入っているし、
コップはカラなのに、注いだ美味しい飲み物をこぼさないように慎重に持つし、
泣いてなんかいないお人形の涙をぬぐって抱いてあやします。
ここは自分の家の子ども部屋だけど「病院」で、ワタシは4歳の子どもだけど「お医者さん」です。
「どうぞお入りください」「今日はどうしましたか?」「お熱測ります。注射しますね。チクンとしますよー」「泣かなかったのでシールを1個あげますよ」「”オスクリ” 出しておきますねー」・・・(お見事!笑)
幼児は「ごっこ遊び」では、数年の生活のなかで身に着けた知識やことば、ルールや習慣、人間関係の作法なんかを ふんだんに使い、設定した条件を保持しながら仮想の世界を楽しみ、それをさらに発展させたりするわけです。
すごいものだなぁ、こんなに吸収してるんだ、毎瞬 学んでるんだと驚かされるばかりです。
そしてこれ、じつは大人だってやってることなのだよなぁと思います。
自分が知ってる知識や考え方のクセを使って、「これくらい準備をして臨めば、良い結果を得られるはずだ」「もしもあの時、AじゃなくBを選んでいたら、こんなことにはならなかったはず」「もし自分があの人だったらこう思いこう行動するに違いない」・・・というふうに。
子どもの「ごっこ遊び」は偉大だなと思うので、気を抜いて適当に、”その世界” にお邪魔するわけにはいきません。
楽しみながらも私は、真剣に参加させてもらっています。
でもこのあいだ娘から、「さいきん A(4歳)が『あらやだ、そうなの? 困ったわぁ』ってオバサン言葉を連発するんだけど、(犯人は)ばぁばでしょう?」と言われてしまいました。
あらやだ、ごめんなさいね、困ったわぁ・・・。
