少女・葉野珠 はどんな人生を生きていくんだろう_朝ドラ『ブラッサム』第1週

今週始まった朝ドラ『ブラッサム』。
観始めたら素晴らしくて、毎日おもしろくて、これは “ヨソ事” しながら観られないドラマだ…と確信しました。

主人公・珠(宇野千代さんがモデルとのこと)の父親・清治は、生涯、実家からの仕送りを受け、働くことなく「放蕩無頼」を貫いたらしい人ですが、初週の5話では、珠という少女が育った家のこと、珠の父との関係、母との関係を描いていました。丁寧で濃密、でした。
父・清治が何より大切にしていたカナリア、”籠の鳥” のカナリアのエピソードを使って。

珠は学校の宿題で「父について」という題の作文を書いてくるように、と言われますが、困ってしまいます、綴り方は得意なのに。
お父さんの好きなところ、自慢できるところを書くよう先生は言ったけれど・・・、あまり喋らないし、よく怒るし、ご近所さんからはクズだひどい奴だと言われてるし・・・と。

でも、どうにも書けずに苦心していた夜、厠へ行こうと襖を開けたところ、月明かりに照らされた桜の花びらの舞う縁側で、カナリアをじっと見つめる父を見るんですね。
「その横顔は、笑っているような、どこか物悲しいような、今までに見たことのないものでした」「そこに放蕩無頼の徒は見当たりませんでした」・・・と珠は綴るのですが、参観日に皆を前に読み上げたその文章は、大いに清治を喜ばせます。

傍からは、働きもせず好き勝手に生きていると見られているけれど、きっと窮屈で孤独であった清治を、娘の珠は唯一理解している、味方なのだ、と思えたんじゃないでしょうか・・・。

しかしあの作文、後に作家になる子どもの、類まれな感性と文章力でした。
そういえば瀬戸内寂聴さんも小学校時代、提出した作文が上手すぎたため、教師から「誰か大人に書いてもらったんだろう」と疑われ、お母様が怒って学校へ乗り込んだ、という逸話がありますね。

それにしても、桜の花びら散る月明かりに照らされた縁側の渡部篤郎さん・・・、あの画は息をのむ美しさでした・・・。珠が「しばらく食い入るように見つめ」て、作文にしたというのも分かります。
Xに「朝から致死量のセクシーさを食らった」などと書きこまれているのを見ましたっけ。たしかに・・・。

でもその大事なカナリアを、妻が誤って逃がしてしまうんですよね。清治は激怒、激しく叱責。妻は珠以外の幼い子らを連れて実家へ帰ってしまいます。
珠は、逃げたカナリアは自分が捕まえてくる、と言いますが捕まえられず、でも、母親と弟たちを連れて帰ってきます。

カナリアはどうした?と問う父に、「カナリアは戻らん」「カナリアなんかどうでもええ!」「うちは、おかかの方が大事や」「うちはここにおりたい」と言い、母を庇いつつ赦しを乞います。珠、初めての反抗です。

「ここの何がええんじゃ」と尋ねる父に、「おととさまとおかかと、みんながおる! うちはこの家におりたい!」と言うんですよね。
「はぁええ。好きにせい」と言ってその場を離れた父・清治でしたが、彼の顔は、反抗する珠の迫力に気圧されつつ はっとなり、そして、少し安堵や嬉しさも、浮かんでいたように見えました。
作文に続き、またしても賢くて強い健気な娘に己を肯定してもらった清治でした。

今週描かれたこの「カナリア」の話。
「カナリア」は、父・清治が、自身を投影している存在なのだなと思って初めは観ていました。何不自由なく暮らしているようで、おそらく心理的には不自由で淋しくて不全感が大きい人なのだろうな、と思ったので。
でも、今日の第5話を見て、ああ、清治は、カナリアそのものを愛していたというより、「自己を投影した存在が籠の中にいる状況」「その狭い世界」を愛でていた、ということだったのだな・・・と思いました。
大切なカナリアと言いつつ、名前は無いようだし、世話は家族任せだし、逃げてしまっても家族に怒鳴って物にあたるばかりで探しに行こうとはしなかったことから。
すごく幼い人なんだな・・・とも。

そしてこのカナリアの話は、「籠(=家)からカナリアは逃げてしまった。でも、妻と子どもたちが帰ってきた」ということで終わりましたが、このメタファーの使い方、この構成、素敵でした。

来週は、女学生になった珠、石橋静河さん登場ですね。楽しみです。