最近、認知症の母(89歳)のナゾ行動や 真夜中~早朝の活動のせいで、寝不足で少々疲れ気味です。
10年ほど前からゆるゆると進行してきた認知症の症状ですが、ここへきて “急に進んだ” ように感じられる状態です。
何ができない、何を忘れる…もそうですが、そもそも “生気” というものが見当たりません。
週5日通っているデイサービスでは、自分は職員だと思っているらしい母は、他の利用者さんのお世話をしたり、まぁまぁ元気に “勤めて” いるようですが(苦笑)、それも最近は、促さない限り自主的には動かず ぼんやりしていることが増えたとのこと、
家に居る時間やお休みの日は、ほとんど置物のようになってソファーに座って うたた寝しているか、目を開けていても、ほとんど何にも反応をしません。
身体的にはどこにも不調・不具合がないようで、そのこと自体はよいのですが、
以前、知り合いの霊能の先生に尋ねてみたら、「お母さん、もう肉体の中にちゃんといないなぁ」「体が惰性で運営しているだけっていうかんじだなぁ」と言うので、あぁ私の印象と一緒だな、と思ったものでした。
それはそれで、”そういうケース” なんですよね。
先に肉体が保てなくなって、生きる気満々なのに地球を去らざるを得ない、というケースもあるし、肉体と精神がほぼ同時に「はい、お終い!」とばかりに命を終える人もいる・・・。
母は、肉体的には丈夫なので生命体としては存在しているんだけれど、中身の方は、出たり入ったり・・・というかんじなんでしょう。
なんとも やるせない気持ちになるし、正直、連日のナゾ行動には疲弊させられますが、仕方がないです。できるだけ優しい気持ちで見守っていかねば・・・。
しかし、認知症の中核症状である記憶障害、見当識障害、理解力、判断力の低下・・・というものを毎日 目の当たりにすると、やっぱり「自分を生み育てた親」だからこそ抱く「信じられない」「受け入れがたい」という思いになります。
5秒前に伝えたことも覚えていない、喜ぶだろうかと思って張り替えた新しい畳の匂いもわからない、好物だったうなぎも食べ忘れ続けて腐らせる、汚した下着を平気でタンスにしまう(隠しているわけではない)、今日が何月何日なのか、何曜日なのか、いや、春夏秋冬のいつなのか、朝なのか夜なのか、それもわからない・・・
母はいったい どこまでわからなくなるのだろう・・・、いま母は、どんな世界に生きているんだろう・・・、と思います。
先日も書きましたが、いま私は孫娘2人と接して、その凄まじい成長っぷりに感心しているところなので、
そんな「人生始まったばかりの “朝の人” 」と、「人生を閉じていく “夜の人” 」の様子 両方を、見ていることになります。
人生時計が「早朝の人」と「夜の人」との密な関わり。
これ、大変なこともたくさんありますが、人としてとっても貴重な体験なんだろうと思います。
最近私は、多世代と関われる暮らしの尊さを ひしひしと感じながら、勉強させられている気がしています。

