昨日、近所でばったり、娘の小学校時代に付き合いのあったママ友に会いました。
大きな手提げ袋に小ぶりな花束が幾つも入っているのが見えて、聞くとこれから、この春お子さんが小学校や中学校に入学する友だちにお祝いを届けるのだと言う・・・。
あれれ、まだそういうことをしてるんだ・・・と思ってしまいました。
そのママ友、昔からそうやって、一生懸命誰かに何かをプレゼントを配って歩いたり、私たちママ友にも、旅行のお土産やら “美味しいと評判のお菓子” やら便利グッズやらを、集まりの席に持ってきたりしてみんなに配ったり、友だちがお店を開くことになったと言って「ぜひ行ってあげてね!」と宣伝の電話をしまくったり・・・、そんなかんじだったんですけれど、
なんというか “過剰” だったので、今ひとつ評判がよくなくて、ハッキリ「ごめんね、もうやめて」と言う人もいたし、陰でちょっと悪く言う人もいました。
あるとき彼女から、「誰々さんに贈り物を何度か届けに行ったんだけど、たぶん居留守をつかわれてる」「たぶん嫌われてる」と相談された私は、「どうしてそんなに贈り物をするの?」「ちょっと心地悪いのかもしれないよ?」と言ったことがありました。
彼女は、その意味が分からないようで、「喜んでほしいだけなのに・・・」と言い、自分は小さい頃から、よくできる姉たちと比べられて、親から「おまえは器量が悪いし勉強もできない。せめて、気の利く、人様に喜ばれる人間になりなさい」と、いつも言われて育ったのだ、と言うのでした。「人を喜ばせようとするのは間違ってないと思うんだけどな・・・」って。
人の役に立ちたい、喜んでほしい、というのはもちろん間違った思いではなくて感心な心がけなんですけれどね、
きっと彼女の行為には、本人の自覚できていない「役に立たない自分には価値がない」みたいな強迫的な思い込みが貼りついていて、それごと手渡されるものだから、受け取る方は、「私を褒めて」「私を見捨てないで」みたいに感じたりして、なんとなく心地悪いんでしょう。
「デキの悪い自分は、親からよく『この穀つぶしが!』って言われてた」と彼女は言っていました。それは酷い話ですけれど、でももう還暦、「人の役に立つこと、喜んでもらうこと」を生存条件にしてしまっていた子ども時代とは違うんですから、
一生懸命人の役に立とうとして頑張るときもあれば動かないときもある、人に喜んでもらえたら嬉しいけど、いつもいつもそれを願ったり狙ったりしない・・・、というかんじにしていけたらいいのに・・・と思います。
でも彼女は雨の中、花束を渡そうと何軒ものお家を回るんだと言う・・・。
う~ん、切ないなぁ・・・変わらないんだなぁ・・・と思いながら、またねと言って分かれました。
