私には中学時代、キヨミちゃんという友達がいました。
特別支援学級に通っていた子だったので一緒のクラスで勉強した…ということはなかったのですが、何かの行事で交流したときに、私はキヨミちゃんに気に入られ懐かれて、キヨミちゃんが毎朝、通学路で私を待っているようになりまして、「手をつなぎたい」というキヨミちゃんと手をつないで、毎朝やけに時間のかかる登校をしていました。
そのキヨミちゃん、知能という点では普通学級に通う私たちより劣っていましたが(生まれつきの病気のある、体も小さな女の子でした)、感覚、感性が独特で、とにかく心が清らかで美しい子でした。
この子は何を見て何を感じてるんだろう・・・すごいな・・・と思うことが度々あって、私はすごく敬意をもっていたように思います。
いろいろ教わることが多かったのですが、なんといってもキヨミちゃん、”いつも幸せ” でした。いつもニコニコしてました。
手をつないで学校行くの楽しいね!
サクラの花びらいっぱい集まって嬉しいね!
おばあちゃんが作ってくれた巾着袋、ネコの刺繍がついてるんだよ!
〇〇くん、ふんわりボール投げてくれて、優しいんだよ!
日なたから日陰に移ると、空気がスンって変わって面白いね!
え・・・、そんなことが・・・? と当時の私は困惑したものでしたが、中学生だった私にも、キヨミちゃんって人には嬉しいと楽しいがいっぱいあって、美しいものに気づいて反応する力が高くて、そしてその「綺麗だね!」や「嬉しいね!」にはいつも、感謝の気持ちが一緒にあったということが分かるのでした。
幸いにも私は、キヨミちゃんのおかげで、14歳にして「幸せって、過去や未来じゃなくて その時その場所にあることを感じるもので、そしてその幸せは、ありがたいなぁという思いとセットになってるものなんだなぁ」ということを学んだんですね。
今思うと、すごく尊いことでした。
昨日、娘が「みてね(写真共有アプリ)」に、孫娘が落ち葉やどんぐりを拾っている写真を上げているのを見て、キヨミちゃんを思い出しました。
キヨミちゃんは、春は桜の花びら、秋は落ち葉を拾い集めては、ポッケに入れたり歩道橋の上から撒いたりしたのですが、
ある日、キヨミちゃん、歩道橋の上から撒いた落ち葉がトラックの荷台に載るのを見て「車で遠くに行っちゃうなぁ」と言ったかと思ったら泣き出したことがありました。
「どうした?」と尋ねたら、「あの葉っぱだけ、みんなと別れて遠くに行っちゃうよぉ!」「葉っぱ、ごめんなさい!」って言うんですね。
なんと優しい…と思いながらも、しくしく泣くキヨミちゃんに私は狼狽えて「大丈夫だよキヨミちゃん。あのトラックはまたここへ帰ってくるんだから」とかなんとか、苦し紛れなこと言いました。
そっか、と納得した様子で泣き止んだキヨミちゃんと「早く帰っておいでー!」「みんな待ってるよー!」と、いつまでも大きな声で叫んで手を振ったのを、登校中の生徒たちは ちょっと首をかしげながら通り過ぎていきました。朝から喧しくてすいませんね、です。
キヨミちゃんが私を待ち伏せしてる電柱から学校まで、普通に歩いたら10分のところ、私とキヨミちゃんはそんな調子で20分も30分もかけて歩きました。私にとってはなんとも癒される、優しい気持ちになれるひとときだったなぁと思います。
そのキヨミちゃんは、成人することなく人生を終えたと人づてに聞きました。
桜の散る時期、落ち葉の時期になると、私は今でもキヨミちゃんを思い出します。
あの清らかさ愛らしさでは、この世知辛い世の中に長く滞在するのは難しかったのかもしれないね…、私なんてあれから半世紀、まだまだ勉強があるから生きてるよ…、そんなふうに話しかけてみたりします。

