あるひとつの団体、コミュニティー。
家族、学校、会社、地域の組織、国、あるいはネット上の人間関係でも・・・。
それらひとつひとつの意識レベル(精神性の高い低い、「愛」の大きさ)も様々ですが、ひとつの集まりを作っている人々の意識レベルにも差はあります。
大抵、意識レベルの高い人が、低い人が引き起こす問題に困らされ悩まされ、本来、自分が負うべきでない責任を負うことになる・・・。これに心当たりのある方は少なくないでしょう。
「意識レベルが高い」などというと、何か傲慢な感じがするかもしれませんが、そんなことはないです。
人は誰でも、おそらく幾つもの人生を体験しながら、レベルを上げていっているはずですが、「意識レベルが高い人(愛の人)」は、経験して学んだ量が多い、先を行っている・・・というだけのことです。
自働車の教習所で言ったら、第2段階の人は、第1段階の人より偉いわけじゃなくて、先に教習所に入って より勉強して進んでいるだけ・・・ですね。
で、意識レベルの低い人というのは、より未熟で問題解決の力がありません。
自分の責任を自分で負えないし、乱暴に欲しがって奪うし、相手を尊重する、ということも解らない・・・。
そんな人が、自分より上の権力を持った立場だったら・・・・・・、困りますね、ほんとに困る。
そういうことってまた、多いのです。
親と子の親の方、先生と生徒の先生の方、上司と部下の上司の方、政治家と一般民の政治家の方・・・
見渡せば、上の立場で力を持った人の方が、意識レベルが低い(愛のレベルも低い)例はたくさんあるでしょう。
報道を見ていても、そんな話ばかりです。
たまったものじゃない、と思いますし、そうなんだね、と知ったところで、今ある問題がすぐに解決するわけじゃないですが、
それでも、そういうものなんだ、ということを理解した上で人間関係を持っていく、というのは大事だろうと思います。
これは、馬鹿にする、ということではなく、嘆く・諦める・・・ということでもないです。そういう低いレベルにいる人というのは攻撃的だったり乱暴だったり無神経だったりするものなんだ、と理解した上で、自分はそれに対してどうするのかを自分で決めましょう、心まで支配されることなどありません。
周りには、いろいろな段階にある人がいるでしょうけれど、どうか自分の「愛」をどんどん膨らませて放ちながら、”私らしい” 活動、”私らしい” 人生を☆
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