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からだの不調や病気の〈声〉を聴く

友人から連絡があり、「顔の蕁麻疹の意味ってなに?」と尋ねられました。
なんでも 会社の上司が「顔に酷い蕁麻疹が出来てしまって、みっともなくてお客さんに会えないから、代わってくれないか?」と頼まれたが、自分も忙しいし困ってしまって・・・ということでした。

酷い「蕁麻疹」・・・、それはその上司が、その仕事に苛立っていて抵抗があって過剰なストレスを抱えていて、それを処理できなくなっている、ということに違いないので、そう伝えました。「キャパ・オーバーなのでは?」とも。
そうしたら、まさにそうだ!、そうかそうかなるほどスッキリした、その上司、もともと仕事のできる人ではなくて、もと居た支店で問題をよく起こして異動させられてやって来た人なんだけど、いつも わちゃわちゃと混乱してて、この人大丈夫かなぁ・・・と思って見ていたんだよ、と・・・。

蕁麻疹に限らず、からだの不調や病気にはそれぞれ、ちゃんと意味があります。”たまたま” そこを病むわけではありません。
私は若い頃から「この人、肝臓悪いかんじがする」「泌尿器系が弱い?」「たぶん免疫系が・・・」などという勘が働く “変な子” でしたが、30代で東洋医学や指圧、40代で様々な代替医療や心理学、透視やヒーリングを勉強するにつれ、それらの “勘” は裏付けを得て ただの勘ではなくなり、当たり前に心得ていることとなりました。
さらに娘が看護師になって、実際にたくさんの患者さんを看るなかで得た知識を何かにつけてシェアしてくれたことによって(たくさんのサンプルを見せてもらったわけです)、私は、より確かに〈からだ〉の発する声、〈病気〉が教えているもの について、感じ取るようになりました。
だから、私の友人たちは「病気の意味なら あかりちゃんに聞こう」ということにしているようです。

からだは、からだ ならではの言語をもって、常に私たちに話しかけているのですね。
その声への気づきが深まると、その病気の底流にある課題や感情を、より簡単に扱うことができるようになります。病んでは対処、病んでは対処・・・というパターンを脱して、変容していくことができるようになります。

そう考えると病気というのは、”ただ治してもらう” もの、”ただ忌む” ものにしておいたら もったいない、と言えます。
どんな病気にも、意味があり、その奥には必ずギフト(贈り物、才能)が隠れているものだからです。

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