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「聞く耳を持つものの前でしか言葉は紡がれない」『海をあげる』上間陽子

本屋大賞ノンフィクション本大賞2021を受賞された、上間陽子さん(琉球大教授(教育学))の著書。
少し前にネットで受賞スピーチの映像を見て衝撃を受け(途中から、震えました、泣きました)、直後に注文して読みました。
上間さんは、沖縄で未成年の少女たちの支援・調査に携わり、若年出産したシングルマザーたちの調査を続けておられますが、基地のそばに住み幼い娘さんを育てるお母さんでもあります。

私はこの20年ほど、毎年のように沖縄を訪れていました。それは毎回、”本土からの旅行者” として過ごすに過ぎない数日間ではありますが、それでも訪れる度に、沖縄の土地の持つ力、豊かな自然に惹かれ、沖縄が辿って来た歴史と現状、今なお暮らしの中にある問題について考えさせられ、沖縄のことは自分の大きな関心事のひとつ、そう思ってきました。うちなーんちゅの友人も、何人かできて…。

一昨年、さいごに渡沖した際は、レンタカーを運転して辺野古へ行ってみました。
最近は報道がすっかり少なくなっているけれど、いま辺野古はどうなっているんだろうか、見てみることはできるだろうか…と思ったからです。
そこで私は、すごい台数の土砂を積んだ車両の列と、警備の人たちと、座り込む反対運動中の人たちを見ました。そして、真っ青な海に注ぎこまれた、醜い赤い色をした土を見て、言葉を失いました。
「マヨネーズのように軟らかい地盤」で、おそらく100年後にも工事は終わらない、そしてきっと使われることがない基地の建設工事は、本当に続行されていた…。

そんなふうに私は、本土に住みながらも沖縄に気持ちを寄せて来たつもりでいました。
でも本書を読んで感じたのは、知ることを怠って来たことへの恥ずかしさと、もっと知りたい、という改めての思いでした。

本書には、著者のお祖父様や祖母様が亡くなったときのことが綴られています。
お祖父様のお葬式で、海に足を浸けた遺族たちが、亡くなったお祖父さんは遠く離れた海のかなた(ニライカナイ)に行ったんだね、と語るお話や、
亡くなったお祖母様は、今頃は身体から自由になって「暮らした家や畑や近くの海を一瞥し」空に駆けていったはずだ、というお話が書かれていました。
沖縄の人にとっての「海」は・・・、と思いました。

「海」というと、沖縄生まれの私の友人のことを思い出しました。彼はとても大らかな人、拘りのない人ですが、「海」だけは大事に大事に思っています。仕事で海の無い町に住んだときは苦しくなって、休みの日にはわざわざ遠出して海を見に行った、綺麗ではない灰色の海だったけど…、という話をしてくれたことがありました。
その時も、沖縄の人にとっての「海」は、私にとっての海とは、まるで意味が違うのだな…と思ったものでした。

”違う” といえば、これまた思い出しました。
随分前になりますが、娘と一緒に旅をしたとき、あるグスク(城跡)で見かけた小学生3人の会話です。
1人の子が、坂道から谷間へ、何か紙切れを落としてしまったのですが、その時「あらら、草木の茂るところにゴミを落としてそのままにしたら、山の神様が悲しむよ」と言った子がいて、3人は「山の神様ごめんなさい」「今から回収に行きますねー」と言って斜面を下って行ったのです。
娘が、「沖縄の子は会話の中で、自然に当たり前に『山の神様』って言うんだね…」と感心して言いました。

沖縄に生まれ育つ人たちは、「海」の彼方にニラカナイという天国を思うし、「山」にも神様がいるということを信じている、知っているのだな…と思います。
そんな彼らに私たちは、何を押し付けたままにしているのだろう、いつまで、どれだけ、犠牲になってもらっているのだろう・・・。

「沖縄でも本土でも、こんなにも、みんなけなげに生きているのに、一生懸命つくっているはずの日々があるのに、なんでこんなに政治の世界が醜いんだろう」・・・これはインタビュー記事の中で見かけた上間さんの言葉です。

私たちは繋がって、一緒にいま生きている。
だけど本土に住む私たちも、自分の場所で自分の日常を生きていて、問題を抱えていたりする。
だから沖縄の、頭上を軍機が爆音を立てて飛ぶ場所に暮らす人々のこと、性被害に遭ってしまう少女たちのこと、湧き水どころか水道水まで汚染されてしまっている場所があること…、そういう問題は、どうしても “遠く離れた所で起きている他人事” になってしまう…。

だからこうして、静かに優しく力強く、沖縄の人々が「まがまがしい権力に踏みにじられるような」暮らしを強いられていることを、「何も知らない」私たちに教えてくれる本が出版され、それがノンフィクション本大賞を受賞して、私たちに届けられたことは、とても有難いと思いました。

また、本書のあとがきにあった上間さんの「聞く耳を持つものの前でしか言葉は紡がれない」という言葉を私は、ひとりの母親としても、人の話を聞く仕事をする者としても、胸に深く刻みたいと思いました。
心に抱えている苦悩の話し方の分からない、それを話してよいことだと思っていない、だから諦めてしまっている・・・そんな人たちに私はこれまでたくさん出会ってきたはずだけれど、その人たちに私は、聞く者として寄り添えていただろうか、ほんとの話を聞くことができていただろうか、と考え、もっと自分を使いたい、と思いました。

 

最後まで読むと、タイトル『海をあげる』の意味が明かされています。
私たちは、託されました。
託されたものを知って、そして考えて、自分に出来ることを…と思います。

「絶望」せずに。
「手渡す」ために。

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