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寂しいから怒っている、ということ

セッションが始まって間もなくから「私はせっかく〇〇したのに!」「これは相手が悪いですよね?」「私は間違ってませんよね!?」と怒りを表す人が、私の同意・同調によって一旦は喜んだり安堵したりするものの、やっぱりそれでは気が済まなくて、後にまた同様の出来事を語りにいらっしゃる・・・。そういうことが、ときどきあります。

私は「まずはこの怒りの感情が落ち着かないと始まらない」と考えますから、しっかり寄り添いながらも、あえてどんどん怒ってもらうことをします。
そうしながら、その方が感情を吐き出し、受け止められたと感じたことによって出来た ”隙間” に、こんなふうに考えることはできないかなぁと考えたことを、伝えてみます。

これは、却下されることもありますが、大きな大事な気づきをもたらすきっかけになることもあって、私はそんなとき、内心「逃すまじ!」と密かにモードを変えて、お話をしてみるのですね。

自分の外側に “怒ってよいものを用意して” 怒りエネルギーを燃焼しているときはご本人はなかなか気づけないのですが、やはり、いつまでもその方法で生活・人生を運営していくのはもったいなくて、よいタイミングが来たら、自分の内側に必ずある「寂しさ」と「ほんとは私はこうしてほしいんだ」ということに、気づいていく必要があると思うからです。

なにかっていうと、怒る。いつも、怒ってる。
そういう人は、傷ついていて、寂しいはず。
寂しい人は、それをわかってほしくて怒ります。
“正しい” こと、立派なことを言って怒っていても、ほんとに言いたいのは「寂しさに気づいて!」だったりするのです。

母が、父が、彼が、夫が、子どもが、上司が、こんなことを言う、バカげている、許せない、ここを直すべきだ、私は間違ったことを言ってない・・・。
そう言って怒っているとき、自分は本当はどうしてほしいと思っているんだろう・・・、何か満たされていない欲求や希望があるよね・・・、という、自分自身への優しい言葉掛け。
たったそれだけ?にも思われるかもしれませんが、それができた人は、その後、早いです。
確実に、その人らしい本物の人生を始めます。

よく言われるように、すべては自分のなか。
自分のなかを探せ、なのです。

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