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「恋愛をするのはまだまだ先」

「今年こそは」の願望、心意気として、「恋人を作る」「パートナーに巡り合う」を挙げる方がいらっしゃるかと思います。
恋愛の始まり・・・、いいですね。
目に映る世界が変わるし、こんな活力どこから…?というくらい元気になりますね。

でも恋愛は、必ずしもワクワクとした楽しい気持ちでいられるものではなくて、一人でいたときには鎮まっていたネガティブな感情が、ぶり返すように浮上して、疼いて、そしてそのせいで、 “こんなつもりじゃなかったのに” という行動をして相手を困惑させたり、”こんなはずじゃなかった” 経過を辿ることになったりして、「結局うまくいかない」「いつものパターンだ」・・・、そんな方もいることでしょう。

「恋愛下手」なんていう言葉があります(逆に、恋愛上手、というのはなんだか変なイヤな言葉ですけれど)。
“下手な” 恋愛をしてしまう原因の大きなものとして、「癒えていなかった『子どもの頃の傷つき』」があります。
恋愛をすると、マインドを開いて(普段は開けない扉を開いて)相手を自分の内側へ招き入れ、いろいろと見せようとします、理解されようとします。
その「あなたに見せたいもの」がキラキラした秘密の宝物なら問題ないわけですが、癒えていない古傷(=癒されたがっている古傷)を持っている人は、ついその傷を見せてしまうのです。
「見せる」といってももちろん、「ここに傷があるので見てください」とは言いません。たとえば、子どもっぽい言動、それから、猜疑心や嫉妬からの振舞いで相手を困らせる、ということをします、大抵は無自覚のまま。

相手と対等な、大人同士の関係のなかで、《子ども》を出すのはよいのです。自分が《子ども》の部分を出して、相手が《親》の部分を出す…。これは「ごっこ」のように自在に引っ込めたり役割交代することができるならOKなのです。
でも、常に自分が “聞き分けのない子ども” ”食べても食べても飢えている子ども” として相手に《親》であることを要求するなら…、それはうまくいかないでしょう。
自分は「欲しい、欲しい」「もっとちょうだい」で、相手は与えるばかり・・・。それで成り立つはずはありません。

また別のパターンとして、相手の “子どもっぽさ” ”未熟さゆえの言動” を受け入れるばかり、それに振り回されてしまう…というものもあるでしょう。周囲が見たら「そんな横暴な不誠実な人、やめときなよ」「それはモラハラ、DVでしょう? どうして耐えてるの?」と言いたくもなる人と離れられず、相手に捨てられるまで尽くし続け、縋り続ける・・・。
これは、相手の傷と自分の傷がうまくハマって共鳴してしまっている、ということでもあるし、「私はこの人に必要とされている」「この人は私がいなくちゃだめなんだ」という思いが心地よく(あるいは、自分の存在価値を保つためにそのような思い込みが必要なんだと思ってしまうために)相手と離れられない、ということでもあるでしょう。

恋愛相手ができると “子ども” として振る舞ってしまうのも、”親” のようにせっせと世話を焼こうとするのも、それが関係の破綻に繋がるような度を超えたものであるなら、そこには、じつは同根の問題があります。

それは・・・・・・「私を見捨てないで」です。

相手に対する思いと、傷ついた子どもとしての「私を見捨てないで」「私を見て。私を褒めて。可愛いと言って。いい子だと言って」という 必死な思い がリンクしているようなら、その恋愛は実らないでしょう。
そんな、古傷を癒せていないあなたが恋愛相手を求めたことへの答えは、「相手は親じゃないよ」「古傷は自分で癒して、大人になろう」でしょう。

古い、重い、大事な傷つきは、出会う人たちによって癒されることは勿論ある、大いにあるけれど、やっぱり、自分が面倒みて自分で癒していくものです。
そして、恋愛でも友人関係でも、大人の関係は一方的なものではなくて相互のものであるはず、関係することで どちらもがそれぞれに幸せな気持ちを体験できるものでなくては。

一人でも元気な私、一人でも概ね満ちている私、優しい私になると、同じように、元気で、満ちていて、優しい人と出会えるのだと思います。

先日、ご自分の古くからの辛さに向き合い始めた あるお客様が
「恋愛をするのはまだまだ先。いま出会っても、いまの私じゃ仕方ないから、やめておきます」
とおっしゃって、なるほど、そんな覚悟でいるのだなぁと感心した、ということがありました。
いつかきっと素敵な恋愛をするに違いない☆と思いました。

恋愛が始まったら、二人でどんなことをしたいですか? どんなものを分かち合いたいですか?

恋愛の始まりって、いきなり、なものですよね。
曲がり角を曲がったら 出会いがしらに!みたいな。
そんなものなのだから、うんと楽しい恋愛のあれこれを思い浮かべて、出会いを願って、
清算や癒しや浄化に努めながら、健やかでご機嫌な毎日を過ごしていってほしいと思います。

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