愛する人のことは なんでも知りたい。そう思うものかもしれません。
でも、人の心の容れ物というのはそんなに大きいものではなくて、相手を知るごとに その価値観の違いに戸惑うことがあったり、不安が募れば、もっと知りたい、知らないことがたくさんあるのはイヤだ、隠し事は許せない・・・となっていったりするでしょう。
ほんとは、遠く離れていて相手がいま何をしてるのか分からない、というときも、繋がっている同じ空の下にいるんだなぁ・・・と思えて、相手の見えない知らない部分を受け入れて穏やかにいられたらいいし、そういう時間が育むものも含めて「確かな関係」だと思うのですが、それはなかなか・・・。
若い頃は私も、不安にならないために できるだけ一緒にいるべきだと思っていたし、相手に自分の知らない過去がたくさんあるんだ、知らない面がまだまだあるんだと思っては一人勝手に辛くなることがありました。
今思えばあれは、愛でもなんでもなくて「依存」だったなぁと思います。
相手の生活・人生を尊重する。
相手が一人で、または相手が誰かほかの人と過ごす “私の知らない時間” も信じて、自分は自分の生活を大切に営む。
そうして得る「再会のとき」の、ときめきや喜びや安堵、そして またちょっと二人の関係は深まったのかな、育っているんだな、という実感。
離れている時間と一緒にいる時間の繰り返し・・・。
理想だな、と思います。
相手の全てを知って大事にしたい。でも全てなど知れない。
だから、知らないところ、理解できないところがあるってことを受け入れて、相手は自分の知らない世界を持っているんだということを認めて、離れているときにも思い合う。
自分も相手もそれができている、と感じられたときにはきっと、一緒にいる時間の多寡にかかわらず、お互いが相手の人生に深く根を張れている大切な人なんだってことが分かると思います。
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以上は、昨日美容院で担当美容師(もうすぐ30歳という女性)の話を聞いて思ったことでした。
電車で1時間半以上のところに住む “なかなか会えない彼氏” との関係について語ってくれたのですが、
彼女は、物理的な距離があるのでなかなか彼と会えない、とのことなのに、一緒に居られない時間にも お互いを思っている実感が “なぜかある” のだそう。
日々のスケジュールは特に聞いてない、とのことですが、もう何年も付き合っているのに話したいことがたくさんあって溜まっていってしまうから、できるだけ連絡取り合ってLINEメッセージや電話で話すんだそう。
そして、会うとなれば今だに「嬉しくて胸が弾む」とのこと(すてき!)。
年明けには、お互いの勤め先の中間地点あたりに借りることにした住まいで同棲を始めるのだそうで、「まぁ!それは楽しみね」と言ったら、
「お互い のんびりしてるので、様子みて、状況考えて・・・って やってて何年もかかっちゃいました」
「でも、おはようとおやすみを、LINEや電話で言うんじゃなくて、顔見て言えるのはやっぱり嬉しいですね」
とのこと。
真面目に誠実に いつも いい仕事してくれる彼女なのですが、彼女らしい いい恋愛をしてるんだなぁ・・・と微笑ましく思った話です。
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