転び方の練習は大事

しばらくぶりに 孫娘②(1歳9か月)を預かることになり、半日ほど遊ばせました。
なかなかのお転婆娘、活発な子で、公園に連れていったら、遊具のあれこれも随分と上手に使って遊ぶようになっていて、ちょっと驚きました。

「その遊具は “対象年齢3歳” になってるよー!」「それは無謀というものでは?」とヒヤヒヤして見守る私を尻目に、孫娘は果敢にチャレンジしてはズルっと、スッテーンと転び、えへへと笑って起き上がっては、懲りずに果敢に挑戦を続けるのですが、その姿に感心してしまいました。

そっか、その難しさが面白いんだね。なんとか できるようになりたいんだね、何度も何度も落下したり転倒したりしてるのに・・・。

でも・・・、つかまり立ちをした頃、立って歩き始めた頃は、どすんと尻もちをついたり、バランスを失って手をついて転んだり・・・しょっちゅう転倒していたわけで、「うまく転ぶこと」について毎日毎日一年練習してきたんだものね、上手なわけだね、と納得したりして。

考えてみると、たとえば柔道を習えば、先ず受け身を教わりますね。相手を倒すことより先に、投げられ倒される技術を学びます。
スキーを初めてやったときも、一緒に行った当時の彼氏(雪国生まれで ものすごくスキーが上手かった)から、先ずは「止まり方」と「転び方」を教わりましたっけ。
何か上手くなりたかったら、先ずは「転び方」なんですね。

これは、感情や知性の運転の仕方にも言えるんだろうな、と思いました。

激しく腹を立ててトラブルを起こしてしまう人とか、何かに落ち込んだら復活するまでに時間がかかってしまう人とか、そういう人は、自分の感情に振り回されてしまいコントロールがうまくいかないのでしょうが、
自分が自分の気持ちを受け止めて上手に平常に戻す、感情に関して「受け身」をとる、ということについて練習不足、と言えるのかもしれません。

自分の意見、自分の信念を、誰かと戦わせて勝とうとする、批判されても反対されても自分は正しいのだと 曲げずに言い通す・・・というのも、一見強くて立派ですが、少しも揺らされずに「自分こそが正しい」と直立しているだけ、というのもなぁ・・・と思います。ぐうの音も出ないような論破をされた後とか、どうなるんだろう・・・。

間違いたくない、失敗してはならない、という強迫的な構えで生きていると、「転倒」したときの傷は 大きく深くなるでしょう。
それよりは、転んだときの受け身の取り方、上手な転び方と起き上がり方というのを覚えること、小さくこまめに転んで起き上がる練習を、たくさんしておくことだろうと思います。

ちなみに孫娘は、転んだら直ぐに起き上がることが多いですが、ときどき、起き上がらずに転んだままになっていることがあります。
どうしたかな? だいじょぶか? と思って近づくと、蟻の観察を始めていたり、なんとなく気持ちが良くなってか、そのまま仰向けになって空を見上げていたりします。

幼な子は偉大だなぁ、いろいろ教えてくれるなぁ、と思います。