セッションの中でお客様と、「自分の才能で親を喜ばせたくないと思った」気持ちについて、話をしました。
お客様も私も、いわゆる “機能不全家族育ち” ですが、「自分の頑張り、自分の才能を、親に “搾取” されたという思いがある」という共通点がありました。
幸せそうじゃない両親を、喜ばせたかった
子どもというのは親に喜んでほしいものです。
私も子どもの頃は、お父さんお母さんが喜んでくれることをしよう、褒められよう、と思っていました。
たとえば私は、とても足が速かったんですね。
通っていた小学校で一番速くて、市内陸上大会でも優勝して、中学校の時に参加した市民マラソン大会では “国体で入賞したらしい” 成人のお姉さんと数秒しか変わらないタイムで2着になる・・・、そんなかんじでした。
すごいスピードでどこまでも走っていけちゃうことが気持ちよくて、とにかく「走るの大好き」な子どもだったわけですが、「足が速い」「運動神経がいい」ということによる活躍は、父と母を大層喜ばせました。「自慢の娘」だったと思います。
ただ、その運動能力のせいで私は、バレーボールをやることになってしまったんです。父はバレーボールの指導者として活動していたのですが、思いついてしまったんでしょう、「お? この娘、モノになりそうだぞ」と。
私は、県大会で何度も優勝している中学校(バレー部の監督は父の友人)に越境入学させられ、年休2日で体罰は当たり前・・・な部活動に明け暮れる日々を送ることになってしまいました。
昭和ですからね、「巨人の星」「アタックNo.1」の世界でした。
ぶん殴られるし、酷いシゴキに気を失いかければバケツの水をぶっかけられるし・・・。
令和の今ではありえませんね。
なぜ自分は、あれを拒否せず頑張ってしまったんだろう・・・
どうして逃げ出さずに耐えてしまったんだろう・・・
やっぱり
自分は熱心に応援してるお父さんお母さんを喜ばせなくちゃな、自分は両親の 誉れ でなくてはならないよな、がっかりさせたり悲しませたりしちゃいけないな・・・
そういう思いだけで あんな地獄みたいな日々を耐え抜いたんだ、と思います。
15歳の私が誓ったこと
子どもの頃、私の家には父の育ての親が同居していたのですが、それはそれは常に息苦しい空気が満ちていました。
いわゆる嫁いびりがあって母はしくしく泣くことも多かったし(一度、「もうどこかへ消えてしまいたいよ」と母が呟いたときの恐怖は忘れられません…)、
辛いことがあると酒を飲んで泥酔して暴力をふるう父の「機嫌」は何より重要でしたから、
私はとにかく「長女の私がしっかりしなくちゃ」「一家の希望の星にならなくちゃ」と思っていました。
でも、中3で部活を引退したとき私は「もうバレーボールはやらない。高校では自分の好きにする」そう決めて、両親にそう伝えたんですけれど、それは許可しない、と言うんです。
バレー部の監督(であり私の担任だった教師)と父親は結託して、私をバレーボールの強豪校へ入れる作戦を仕組んできたんですよね。
その学校以外は許さない、その学校以外の高校は受験させない(つまり中卒で働くことになるんだぞ)、と脅してきたりして・・・。
さすがに私は、学校のほかの先生たちに相談して、それは酷いね人権問題だねということにしてもらい、なんとかなったのですが・・・、ほんと、とんでもないことでした。
あのとき私が、何を思って闘い、 何を誓ったかといったら・・・
「私の活躍を利用して幸せな思いをしようなんて、もうぜったいに許さない」
「私はもう二度と、自分の才能、能力で、父を喜ばせたりしない」
ということでした。
結果的にバレーボールを離れることに成功した私でしたが、その後、父は私と口をきかなくなりました。父は私を透明人間として扱っていましたね、自分の思い通りにならなかったからといって、ほんとに子どもみたいな人でした。
成人して話すようになった後も、「昔のあれは虐待だったよ」と非難したら熱を出して何日も寝込んだというし(よわ・・・)、その後は がんになって闘病して、60代で亡くなる・・・ということになりました。
父は結局、一度たりとも「娘の気持ちを尊重する」とか「自分の行いを省みて間違いを認める」とか、そういうことが全くできないままこの世を去ってしまいました。亡くなるまで “幼い少年” でした。
“身体が走る喜びを記憶している私” の後悔
バレーボールを拒んで 好きなようにしたことで、父との関係は壊れてしまったわけですが、そのことのほか、私にはもうひとつ、“その後どうやっても取り戻せず、失ってしまったこと” があります。
それは、「走ること」や「スポーツ全般」を楽しむ、ということです。
私は「自分の才能(俊足であることとか運動が得意だということ)を使って親を喜ばせることは絶対しない」「もう、スポーツなんか絶対にやらない」と誓ったあれを、その後の人生で、”解除” することができませんでした。
今はもう還暦を過ぎましたから、筋肉や心肺機能の衰えに気を遣おう・・・ぐらいになりましたので、今さらどうということではなく、もういい のですが、
それでも ふとしたときに、あの、気持ちよく風を切ってどこまでも走っていけた楽しい感覚を思い出したり、陸上の大会や駅伝中継などをテレビで見かけたりするときに、ちょっとだけ胸がざわざわっとするんですね。
10代までは気持ちよく走っていたことを記憶している私の身体は、走ることからの早すぎる引退を、ちょっと残念に思い寂しがっているのかもしれないな・・・と思ったりします。
その両方のために私は、せっかく持って生まれてきた ひとつの才能を、自分の意思に反した激しい使い方をしたり、逆に完全に封印したりして、結局は葬ることになってしまいました。
仕方なかったんだけど、でもそこは、数少ない「人生における後悔」だなぁ・・・と、今でも思います。

