自己表現・自己主張、積極性の大切さとか、とにかく自分の意思を最優先に自分軸で生きましょうとか、そんなことが書かれている文章を目にすることがあります。
もちろん、それらの内容は正しくて、そういうことができる人はきっと幸せなんだと思います。
でも、そういうものを読んで「自分には難しいんだよなぁ」「そういうことができないから自分はダメなのかな・・・」って辛い気持ちになってしまう人もいます。
先日も、来室された方が
「自分の暮らしには、自分発の自由な行動というのがほとんどなくて、いつも周囲の人の都合で動くばかりです」
「そんなだから私の人生はいつまでもパッとしなくてダメなんでしょうね」
ということをおっしゃいました。
でも、私が思うに、そういう つい自分の行動が他人の動きを受けてのものになる(他人の都合で動くばかりだ)という人は、場の空気や他者の気持ちを読み取るのが早くて正確で・・・、つまりそういうことが得意なわけで、才能と言っていいわけで、全然 “ダメなところだから直さなくては” ではないんです。
人には、他人がどうとか関係なく、とにかく自分の感覚や意思で、思ったように好きなように行動する能動型の人と、
空気を読んで人の気持ちを察して、球が飛んで来たらキャッチして上手に投げ返してあげる・・・という役目を引き受けがちな受動型の2種類があります。
これは生まれ持った ”タイプ” なので、基本的には終生 変わらないものです。
能動型の人はずっと能動型。受動型の人もずっと受動型。
これは仕方のないことというか、それで良いはずなんだけど、なんとなく、自主的・能動的・積極的に動ける人は幸せに向かって一直線・・・なかんじがするせいか、そちらを良しとする向きがあるんですよね。
でも、私がお会いするお客様の多くがそうですが、相手や周囲の出方を見ていて気を配りながら自分の動き方を決める、だからどうしても他人次第になってしまう、という人は、ほんとに繊細で優しくて、”受け止め手” に向いているんですよね、それが特性です。
でも、総じて自己評価が実力に対して低くて、「こんな私じゃダメだ」「変わりたい」なんて思っていたりしますが、私は声を大にして言いたいです。いや、言ってます。
どうかそのままで!
そういう人のおかげで世の中は潤うし、柔らかく優しく保たれるんです。
好き放題 “投球” する人、球を投げ散らかすような人は、そういう よく気の付く優しい人のおかげで助かっているはずなんです、大抵気づかないものですが。
だから、ご自分のそういう特性の尊さを、ぜひもっと評価してあげてほしい、好きでいてほしい、と思います。
他人次第で翻弄されてばかりだとか、損ばかりしている人生を変えたいんだとか、そういう辛さや悩みがあるなら、そのときはその問題をしっかり見て、そこは改善してあげるべきでしょうが、
とにかく「能動型が上で受動型が下」みたいな価値観は手放して、受け止める係、援助する係、人々に癒しを提供する係を、「これが私!」と思って全うしてほしいです。
自分が安心している。自分が喜んでいる。
合っていることをしているならきっと、そういう感覚を得られるはずです。
そしてそれなら、決して「冴えない脇役」をやってるなんてことはなくて、自分の性質を生かした自分の人生を生きている、ということなんだと思います。
どうかそのまま堂々と、誇っていいご自分のその特性を、さらに育てていってください、”違う自分” にならなくちゃなんて思わずに。
