『ジョーカー』を観ました。アメコミ・DCシリーズの人気ヴィラン、ジョーカー誕生のお話。
「孤独だが純粋で心優しいアーサー。一人の人間が、なぜ狂気溢れる “悪のカリスマ=ジョーカー” に変貌したのか?」
これは映画の広告コピーですが、そのプロセスを描くこの作品には、久々に「やられてしまった・・・」と思いました。
映画を観ている間のみならず、映画が終わっても、映画館を出ても、胸の痛みやぞわぞわが、なかなか収まりませんでした。長い時間、引きずりました。
純粋で優しい人が、そんなふうに踏みつけられ、少しも温もりや愛に触れることなく痛めつけられ続けたら・・・、それはもう、そうなるしかないじゃないか・・・
凶悪犯罪者たちも、背景を知れば、皆、そうだ・・・
ジョーカーが、のちにバットマンにとって最強の敵になるのは、彼が何も持たず、絶望しているからだったんだ・・・
ジョーカーは特別なのか? いや、じつは私たちのすぐ隣にもジョーカーはいるだろうし、それどころか自分自身の中にも、何か不幸な出来事が積み重なって限界を超えた時には、ジョーカーの側へ転落する危うさはあるんじゃないのか・・・
そんなことを思いました。
アメリカではこの映画の影響に怯えているとか。わかります。衝撃的なR15+作品です。
アーサーの悲しい笑い声が、まだ耳の奥に残っています。
この記事へのコメントはありません。