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三浦春馬さん逝去の報道に接して

先週末、俳優の三浦春馬さんが亡くなった、自殺らしいということをネットニュースで知り、とても驚きました。
三浦さんというと、爽やかで誠実そうな好青年、というイメージでしたが、週末以来の報道で、とにかく真面目で自分に厳しい人で、ひとつひとつのお仕事に真摯に取り組んできた方だったことを知りました。
勉強熱心で理想も高く、今後は海外での活躍も期待されていたそうですね。テレビの映像で、流暢な英語や中国語を披露されていました。
テレビ、映画、舞台、MC(「世界はほしいモノにあふれてる」大好きでした)・・・と幅広くご活躍、そして今後はさらに、歌手としての活動も・・・ということだったのですね。

しかし・・・、これまでの作品と今後控えていた作品の羅列を見ると、さすがに忙し過ぎでしょう、と思われました。彼の才能と実績、また多くの人からの期待を考えると、これほど求められて応えていく・・・の繰り返し(そしてそれは、ご本人には、生きている限りエンドレスに続いて行くものにも思えたはず)は、どれほどの重圧、ご本人が重圧だとは自覚出来ていなかった重圧であったのではないかと思いました。それを認めて周囲に迷惑をかけるわけにはいかないと考えていたはずです。
気の進まないこと、嫌なことなら、苦しい、やめたい、逃げたいと思えますが、そうでなければ・・・、それが自分の意思によるものだし自分が望んでいるものだとなると、また他の仕事と違って、他の誰かに代わってもらうわけにはいかないものだと考えると、彼は、ご自分の中から発せられていたはずの警告音を聞き逃していた、聞くわけにはいかなかったのではないかと思いました。
特に役者の仕事というのは、自分の中に “役を入れ、役を抜き” ・・・ということをする、過酷なものでしょう。そして、孤独なものでしょう。

自殺するのって、時間の長さはまちまちでしょうが遠因になることがもともとあって、直接のきっかけになること(それは必ずしも外から来るのではなく、心に浮かんだ思いや考えかもしれない)があって、不安定に歩いているこちらの世界のきわどい縁っこからあちら側へ、ふっと落ちてしまうことなのだと思います。これは、計画的なものだったと判断されるものでも、発作的?などと言われるものでも。
だから、その縁っこから落ちてしまいそうなときは、安全な場所にいる人と交流することで、自分は自分を追い詰めていて塞がった狭い所で呼吸困難に陥っていることや誤作動を起こしかけていたことに気づいて、そして正常な運転ができるようになる、ということは、特に若い皆さんには、忘れずに覚えておいてほしいと思います。

三浦春馬さんという、娘と同じ年齢の、ひとりの青年が亡くなったこと、とても悲しくて残念です。
置いていってくれたたくさんの作品を、慈しんでいきたいと思います。

 

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