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「もはや埋めようのない欠損」は・・・

テレ東でやっている深夜ドラマ『生きるとか死ぬとか父親とか』。
ジェーン・スーさんのエッセイが原作、吉田羊さんと国村隼さんが親子として主演されています。

今回第5話は「嫉妬とか 愛情とか」。
主人公のトキコ(吉田羊さん)がパーソナリティーを務めるラジオ番組の人生相談コーナーに、こんな相談が寄せられます。

「自分はこれまで、仕事に遊びにと毎日を楽しく満ち足りて過ごしてきた。しかし最近、気持ちがかき乱されることが時々ある。結婚した友人・知人のSNSに子供の写真がアップされているのを見た時だ。心がざわついたり、時にはイライラしたりすることがある。友人・知人が慈しむ子供の写真にネガティブな感情を抱くなんて、問題がありますよね?」

これに対してトキコは、自分にも同じ経験があった、心がざわついた、そんな自分に納得がいかないというか不愉快だったので、その心のざわつきの正体を突き止めようと、全部の写真をつぶさに観察してみた、と言います。
そうしたら自分には、「平気な写真」と「イラッとくる写真」があるということが分かり、さらに自分がイラッとくるのは子供が女の子であることが圧倒的に多く、しかも、子供が母親と写っているものでなく父親と写っている写真にイラッとくることがわかった。
それで分かったのは、自分は写真に写っている父親の娘に対する愛情に嫉妬しているんだ、ということだった、自分が結婚していないから、とか、子供がいないから、ということではなかった、と。

観察、分析してみて、自分の心のざわつきの構造 がハッキリわかった、私もこうしてほしかったんだ、ということが分かった、もはや埋めようのない欠損 が原因だったのだ…、と語るトキコを、私は(心理カウンセラー的に見てしまいましたが)すごいなぁと感心しました。
ざわつき、イラつきを、ちゃんと探って原因に辿り着き、それ以来、子供の写っている写真を見てもあまり心が揺れなくなった、というのですから。

(※ちなみに、ときどきカウンセリングの場でお客様が、トキコ同様、「幸せ親子、幸せファミリーの写真に、とても不愉快になる、サツイを抱いてしまう程だ」という告白をされることがあります。)

子供の頃の父親との関係による「もはや埋めようのない欠損」・・・それをトキコは、もう諦めることにしました!と言うのですが、アナウンサーから「今からでも “親子らしいこと” をやってもいいのでは?」と促され、トキコは、父親を誘い、動物園へ行きます。

・・・結果的には、狙っていた「ほのぼのしたりほろりとしたりするエピソード」を得ることはなく、父親との間にある「欠損」が今さら埋まることはない、と思い知らされることになるのですが、それでも、こんなことがありました。
帰りに立ち寄った、父親の旧友の営む とんかつ屋さんで、その旧友から、自分の知らなかった父親の仕事ぶりや、自分が赤ん坊の頃に、父が自分の世話をしてくれていた様子を聞かされます。

「父にも自分と過ごす時間があったのだ」・・・そのことを第三者のしてくれる話によって知って噛みしめる・・・ということで、もはや埋まらないと諦めていた「欠損」が埋まり癒される・・・ということって、ありますね。私にも経験があります。

「もはや埋めようのない欠損」・・・、これは、他人に充填を求めて補ってもらったり、もう仕方がないよねと諦めたり、誰かから思いがけず さりげなく 埋めてもらったりしながら、少しずつ、気にならない穴ぼこになっていくんですね。

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