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これからは何を着て何をする?どう生きる?と問いながら

「一人ではもうどうにもならない。手伝いに来て」と友人に乞われて、大量に溜め込んだ洋服の処分を手伝ってきました。
私と同様、様々な仕事をしてきた友人なので、仕事を変わる度、交際する人が変わる度に服を買い足し、そして、ありがちですが「捨てる」の方を怠ってきたため、クローゼットの中、押入れダンスの中、そして出しっぱなしのハンガーポール2台の端から端までが、ぎっちぎちになっていました。

「こういうのを着てたのは、あの会社に入って張り切ってたとき」「これは、ちょっと無理して○○(←当時の恋人)とつきあってた頃の・・・」「これらは、あの会社に自転車通勤してた時に買ったやつ」・・・と説明を受けましたが、私は彼女のその時々の姿を知っているので、捨てられずに来てしまった気持ちが すごくよく分かり、頷くばかりでした。

しかし・・・、もうすぐ還暦なわけですね。
人生の残り時間、どこで何をして生きていくのか、そこを(ちょっと寂しい気持ちにはなるけれど)潔く見つめて、そして思い切って、もう出番がないに決まっている服は、”思いでいっぱい” だろうが、”すごく高価だったもの” だろうが、処分してしまった方が、色々な意味で、良いに決まってるんですよね。
若い人もそうですが、我々くらいになると、「いつか着るかも…の『いつか』なんて、決して来ない」ものだということです。

私も、数年前までは呆れるほどの「いつか着るかもしれない服」を保管していました。
娘が “鬼コーチ” として処分大会①②③…を開催、主導してくれたおかげで本当にスッキリさせることができたのです。
処分を躊躇ったり拒否したりすると娘は「じゃあ、その服着てこの姿見で見てみ」と言いましたっけ。
服を “あてがう” のではなく、実際に着てみたんですけれど、ほんとに似合わなくて(大笑いしました)、今似合わないものは今後は絶対に似合うようにならないわけで、「そういうことなんだ」「受け入れよう」と思えてからは、作業がスイスイ捗りました。
大量の服を処分した後は、想像していた以上にいろいろなことの決断が早く的確になったし、暮らしの運営がかなり楽になりました。捨てた直後は、なんというか すーすーして心許ない感じもしましたが、じきに慣れて、この軽さと明るさを覚えておこう…と思いました。
鬼コーチありがとう、でした。

「人は制服どおりの人間になる」という、かのナポレオンの言葉があります。
人は、服装どおりの人になるんですよね。

着る服が人の意識に訴えかけるものって本当に大きいです。
人は自分の意識を変えようと思っても、なかなか変えられません。
だから、環境の方から変えてみる。

洋服も環境のひとつです。
自分はこれまで、何を着て、どんな暮らしをして来たのか。
これからは、何を着て、何をしたいのか、どう生きたいか。
そこを自分に問いながら、持っている服を眺め、これからの自分には必要ない、と思えたら、そこはかとない不安や罪悪感なども一緒に、スパッと大胆に、処分するのがよいと思います。

手伝いに行った友人にも「今の私」「これからの私」が着たい服だけ残そう、と言って作業を進め、クローゼットをガラガラにしました。
やりすぎたか?と思いましたが、友人の清々しい顔を見たら、いやいやこれでよかったんだな、と思いました。

人生時計的には、我々はもう夕暮れ時。
欲張らず、でも惨めにならず、ちょうどいい豊かさを味わっていきたいものです。

何を着て何をする?どう生きる?
そう自分に訊きながらの、着る服(在庫)の点検、厳選、お勧めします。

 

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