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「強運だから明るい」のではなく「明るい人だから強運」なのです

セッションルームのある銀座のあたりを歩いていると、ときどき、芸能人、著名人を見かけますが、数日前にお見かけしたタレントさんの輝くオーラは別格でした。
あそこまでの人って 滅多にいないなぁ…、私と同世代の男性(もう還暦前後だったかと思います)ですが、キラキラ美しかったなぁ…、としばし余韻に浸ったほどでした。

その人もそうでしたし、その他 テレビでお見かけする人の中にもときどき いるし、自分の知り合いにも何人かいるのですが、
綺麗なオーラをしていて、この人はゼッタイ “運がいい人” “強運の持ち主” に違いない、と思える人(実際、ご本人は「自分はなぜかツイている」「有難いことに、いつも良縁に導かれている」というようなことを言います)は、例外なく明るいです。

運が良くていいことがたくさんあるから明るい、のではないです。
逆です。
明るい輝くオーラをしている人だから強運なのです。

それから、明るければいいのか!よし!と心掛けて、いつも面白いことを言って人を笑わせるような楽しい人になったところで、それもまた違います。
たとえば、そういう笑わせることを生業にしている芸人さんにだって、本当に明るくて高波動な人もいるし、実はこの人相当暗い闇を持ってるのに無理をしてるんだなぁ…という “明るくない” 人もいるわけです。

「明るい」というのは、オーラ(まとっている氣)に濁りが無くて澄んでいる、ということで、意識的に何を出力しているか…ということは関係がないです。小手先のこと、表面的なことではないんですね。

オーラが明るくてキラキラ光っていて高波動、だから当然、運がいい・・・、そういう人は、見ていると、葛藤とか執着とかいうものを ほとんど持っていないですね。怒りや悲しみも、もちろん抱くんだろうけれど、いつまでも持っていずに、流してしまえるのだと思います。

逆を言えば、暗く濁ったオーラ(雰囲気)の人は、たくさんのネガティブな感情や要らん思考を抱え持っているので、重くて、良い運気に乗りようがないわけですね。努力の割にツイてなくて報われない。常にそこはかとなく沈んでいて、笑顔も少ない、という…。

手放し上手で楽天的・・・。それがいいと言われたところで、すぐにそんなふうにはなれませんが、ひとつひとつ、できるだけ、固く握りしめているものや 長らく抑圧し沈めてきた重い石みたいなものは、融かして流して捨てていくことだと思います。それが、生きている私たちの成長、進化というものです。

冒頭に書いたタレントさんは、いかにも “明るくてツイてるに違いない人” ですが、他者や世の中で起こっている事象に対しての眼差しが、すごく優しい人でもあります。
握りしめず溜め込まず、都度流しているから、 両手が空いている、視界が良好で心にも空き(余裕)がある…ということなのだと思います。

明るくて優しくて強運。最高ですね。どんどんそうなっていきたいですね。

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