世の中には、分かりやすく頻繁に怒る人というのがいます。ちょっと傍迷惑なタイプではありますが、どかーん!と怒って あとはケロッとしている…後を引かないので、周りとしては慣れてしまえばどうということはないですし、本人も精神的に健康です。
もちろん、社会の中でそんなふうに振る舞うのは「有害」ということにもなりますから、皆さん人に対して怒らないでいられるよう心掛けます、アンガー・マネジメントなどというものを学んでみたりして…。怒りは嫌われる感情ですね。
でも、私が問題だなと思うのは、すぐに怒る人より、自分の怒りに気づけずにいる人、誤魔化している人です。
自分の中にある怒りには気づいた上で、それを誰かにぶつけてしまわないように、何かの方法でその怒りエネルギーを発散、解消する、というのとは違います。本当は長らく怒っているのに、そのことに本当に気づいていない人です。
そういう人はどうするか。
そのひとつに、「私が悪い」と言い続ける…というのがあります。
「全部私が悪いんです」「私のせいなんです」「こんな私は報いを受けて当然なんです」などと言って自分を責めます。申し訳ないと小さくなって、しくしく泣く姿は痛々しい。
でも・・・
これ、本当に多いのですが、そういう人が実は「ものすごい怒りを隠し持っているんだけど、それに向き合えていない」というケースがよくあります。
お話を伺う私の方は、割とすぐにそのことに気づきますから、ちょっと突かせてもらうわけですが、たとえ「怒っている…? そうかもしれません…」というところまでは認めることはできても、その怒っている対象は分からないと言ったり、わざとハズしたりします、もちろん無意識なのですが…。
それくらい、誰かに対する怒りを認めて、その怒りを できるだけ健康的な形で処理する、というのは難しいものなんですね。難しいし、怖いから、存在していないことにする。
でも、厄介な「怒り」も含め、すべての感情は、ちゃんと認識し、味わって、感じ切って手放す必要があります。
特にネガティブな感情は、歪めたり押し込めたりし続けると、いずれ良くない形の現象として自分に向かってきますから、惚けて溜め込んでいいことはないです。
たとえば、本当は自分を大事にしてくれない「夫」にものすごく怒っているのに、それを自覚できない妻がいるとします。
その妻はどうするかというと、「子ども」を困りごと、悩みごとの原因に仕立て、解決のためにと様々な努力をしてみたり、解決しないと言って苦しみ、落ち込んでみせたりします。
子どもはお母さんのために問題行動を起こしてくれたり病気になったりするので(もちろんこれも無意識)、いよいよ気づけません。本気で、子どもが可哀相、子どもをなんとかしなくては、と思い込んでいるし、困ったことになったら「ああ、私のせいだ、私が悪いんだ」と言って嘆きます。心療内科を訪れたりカウンセリングを受けたり教育に関する本を読んだり、とても熱心です。
でも、その「私が悪い」は本当のことではなく、そういうことにして誤魔化しているだけですから、頑張っても頑張っても、解決するはずはないのです。
「私が悪いんだ」と “言い張って” 泣く人が、本当は〇〇に対して怒っているんだ、本当は〇〇に愛されたいんだ、と気づいて動き出すことで、難問が すっと解決する・・・。そういう例は、たくさんあります。
人は、向き合えないほどの怒りを持っているとき、全く異なる感情を持ち出してそれを纏い、演技するものなんですね。
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