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精神的に未熟な親に「感情労働」は難しい

「感情労働」という言葉があります。昔、労働は「肉体労働」「頭脳労働」の二つに分類されていましたが、21世紀に入り、アメリカのホックシールドという社会学者がこの「感情労働」を提唱した書籍が出版されたことを機に、日本でも、「頭脳労働」とは区別された「感情労働」というものについての理解が進みました。

感情労働というのは、簡単に言うと「自分の感情をコントロール(抑制したり、鈍麻、緊張させたり)することで、相手(顧客や患者)に安心や感謝の気持ちを喚起させることが不可欠な仕事」のことで、
サービス業や医療職、介護職で接客する仕事や、コールセンターなどのヘルプデスクの仕事、私のようなカウンセラーやコーチなども、この感情労働にあたります。

また、親としての子育ての仕事も、肉体労働、頭脳労働であると同時に「感情労働」でもあると言えます。
精神科医のフラードという人が、「感情労働とは、時間と努力とエネルギーを費やし、脳と筋肉を駆使して、相手の精神的なニーズを理解し、満たすことである」と言っているのですが、確かに親というのは、子どもの精神的なニーズ・・・自分は大切にされている、愛されている、存在を喜ばれている、必要とされている…と感じることを満たしてやるために、常に感情労働をしている・・・はずです。しかし・・・

「親というのは」と書きましたが、これは「成熟した親であるならば」という意味です。
精神的に未熟な親にとって「感情労働(・・・自分の感情はしっかり制御し、子どもに心を寄せ、思いやり、子どもの欲求、望みを理解してそれに応える仕事)」は難しいです。

私の両親の、私への関わり方を思い出しますと、彼らにとっての子育ては、肉体労働という意味では頑張りました。でも、感情労働(そんな言葉は知らなくても…)をしていたのだろうかと考えたら、全く、そういうものではなかったと思います。
「いい気になるな!」「誰のおかげで…」「分からないなら分からせてやる」「うちの娘が勉強なんか出来るはずがない。スポーツしかない!」「嫌なら嫌と言えばよかったじゃないか」「そんな高慢チキなやつに友達なんて出来るはずがない。結婚も出来ないに決まってる」などなど・・・。
思い出して書き出してみると凄い言葉ばかりでうんざりしてきますが、改めて、私の両親の子育てが感情労働になっていなかったこと、彼らは、寄り添いとか理解とか…そういうものとは程遠い世界に住んでいたことが、よく分かります。
悪気など なかったし、怠けていたのでもなかったし、出来る限り良いと思われることをしてくれていたのでしょうから、ただ単に “残念なことに、精神的にそういう未熟なレベルだった” ということだったのだと思います。

お客様のお話を伺っていて、「ああこの方も、ご両親が精神的に未熟だったことで苦労したのだな…」「ご両親が、感情的な反応や無神経な対応をする人たちだったのだな…」と思われることがよくあります。
ほんとに大変だっただろうな…と思うと同時に、それがご両親の精神的なレベルで、そのようにしか出来なかった(わざとじゃない、意地が悪いとか性格が悪いとかそういうことではない)のだよな…と思うのです。

だから、子どもの方が、昔のことを振り返り掘り返してテーブルに並べ、これらのことを謝れ!と言ったところで、言い訳をされるか、何十年も前によく聞いた相変わらずのフレーズで怒られるか、忘れてしまっていてポカンとされることでしょう・・・。信じられないことですが、本当に「わからない」のですから・・・。

私の親は精神的に未熟だったのだ、と、そのことが分かった人には、様々な感情が襲ってくるかと思いますが、直接対決以外の “別の手” を考えて、自分を癒していかなくてはなりません。

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