昨日は、たまに来てくださる20代のお客様のセッションのなかで、乞われて「お手紙書きのお手伝い」をしました。
長く会っていない恩人(偉い教授先生)に、あるお願い事をするために手紙を書きたいのに、言葉遣いに自信がないし文章もおかしい気がするから 添削してほしい・・・というご依頼でした。
今は皆が携帯電話を持ちPCを使って連絡を取りたい相手に、直に気軽に繋ぐ時代ですから、
我々が子どもの頃のように、友だちに電話をしたかったら家の電話にかけて家族に取り次いでもらう・・・という体験は、ほぼゼロでしょうし、
手紙にしたって、紙とペンを使って「拝啓 〇〇の候」みたいな手紙も、なかなか書く経験のない人も多いでしょう。
だから、昨日のそのお客様みたいに、電子メールは送れない、きちんとした文章の手紙を郵便で送るしかない、という場面が訪れたら、どうしたらよいやら固まってしまう・・・というのはよくわかります。
いまどき気にすることのない不要な言葉もあると思いますが(「御侍史」とか「御机下」とか・・・)、やはり敬語がおかしいのは駄目でしょうし、何より、文が・・・、日頃短い文しか書いていないと、主語述語のねじれを起こしてしまったり、うまく接続できなかったりして、結局「用件や気持ちを分かり易く伝える・・・なんて、どうやっても無理です(泣)」ということになってしまうんでしょうね。
以前、大学教員をしている友人から、学生が寄越すメールの日本語が酷すぎる、との嘆きを聞いたことがありましたが、
これでは社会に出てからマズいと思って指摘しても、「どこが変なのか最後までわからない学生」「別に問題ないのでは?という風情の学生」が多いのだ、と言っていました。
それを思えば、そのお客様は「なんか変だ」と気づき、「ちゃんとしたものを作りたい」と思って、偉いわけです。
言葉は道具なので、時代の変化につれて変わるのはOKなんでしょうけどね、やっぱり、何かを伝えたいと思ったその相手が、古い言葉、古い形式を当たり前に思っているようなら、ちょっと頑張ってそちらへ寄せる努力をしてみるのって、損はないですね。
いい機会をもらったと思えたらいいですね。
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