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「きりがない」理由

年じゅう、”誰かとの関係” で問題を起こしている人というのがいます。
たとえば「常に敵対する人というのがいて、勝ったり負けたりしている」「どこへいっても気に入らない人、気に障る人がいてストレスが多い」「誰かを仲間外れにすることもあるし仲間外れにされてしまうこともある」などなど・・・。

もう随分前ですが、一年ほど定期的にカウンセリングにいらっしゃっていた人がいました。40代女性 Aさん。
通ってきてくれていた間、Aさんのお話には何人もの「いま問題になっている人」が登場しました。
職場の同僚、上司、最近友達になった人、古くからの友人、きょうだい、近所の人・・・、次から次へと・・・でした。「きりがない」とAさんは嘆いていました。

「〇〇されて困っている」「こういうことを言われて傷ついている」「せっかく転職したのにまた意地悪をされている」と被害を訴えることもありましたし、「△△さんのこういうところが嫌い」「□□さんは皆に迷惑をかけていることに気づかない無神経な人だ」「私の姉はこういう問題を起こしているので私はこう言ってやった」と強気なことを言うこともありました。

それぞれの話は、(解決させたり解決できなかったりしましたが)その都度一応終わりになるのですが、すぐにまた “問題になる誰か” が現れました。
それで、「どうして私はこうも人間関係で苦労するんだろう」「運が悪い」「その誰々のせいで体調が悪い」と嘆いていました。

お話はその都度違いましたが、一貫しているなぁ、だからエンドレスなんだよね…と私が感じていたことがありました。
それは、そのAさんが「決して自分の内側を見ることが出来ない」、つまり「全て周りの人のせい」なのだということでした。

「自分が出会っている誰かというのは、必ず自分を映す鏡になっている」ということを、絶対に認めない人でした。
お話に出てくる「苦手なタイプ」も「こういう悪いところのある人」も「人間的に好きになれない人」も、私から見たら、Aさんそのもの(Aさんが抑圧していて向き合うことができなかった人。Aさんの【シャドウ】ともいえる人ばかり)だったのですが、そんなことをAさんが認められるはずはなかったのです。
そういうことがわからない段階の人だから、誰々に苦しめられている、誰々がこんなふうに悪い、という感じ方しかできなかったわけです。

我々は、”自分の中にあるもの” にしか反応しません。自分の中にあるものだから、それが誰かの姿や言動の中に映されて見えるのです。

誰かの何かが悲しかったり頭に来たり許しがたく思えたりしたとき。
あんなヤツにはなりたくない!などと強く反応したとき。
そういうときこそ、「人は自分を映す〈鏡〉」であることを思い出し、自分の中を探れるとよいのです。
〈鏡〉に映っている “受け入れ難い誰か”  が じつは自分だなんて思いたくないものですが、そこを認めて受け入れられるごとに、生きるのが楽になります。
それは、ひとつクリアし、一段階 精神的に成長したことの、確かな証しなのだと思います。

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