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「私は他人に利用されている」と思ってしまう

自分に、何か人より出来ること、役に立てることがあって、それを誰かに求められて、そしてその結果を感謝されたとしたら・・・
健康な人ならそのことを単純に、安堵したり喜んだりするでしょう。

でもそんなとき、「自分はその相手に 利用 されている気がしてしまう」「損した気分になる」という人がいます。
内心、自分の功績で相手が助かったりよい気分になったりすることなら、やりたくない、と。

これって、大人(親)に “利用されて” 育った人であることが多いです。
身体的、性的、心理的に虐待されていたかもしれません。感情を操作されたり、生き方を支配されたり、強い依存心によってしがみつかれていたりしたかもしれません。

自分の力を使って誰かを助けたり喜ばせたりすることで、「利用されている気がする」「損した気持ちになる」という人は、子どもの頃、未熟な大人に さんざん “利用されて” 育った のだと思います。

私の話をします。私自身も、両親が “未熟な大人” でしたから、私を使って(私がスポーツで好成績を収めることで)自分たちの自尊心や虚栄心を満たそうとしました。
私は、スポーツ(バレーボールや陸上競技。試合に出ればどうやっても、学校や市や県で目立ってしまう成績を収めてしまいました…)で活躍するための進路を強制され、それを拒んだら自分丸ごとを否定されるという体験をしているのですが、そんな親のコントロールに強く反抗したことで、親は嘆き、後に重い病気を患う・・・ということになって、相当な罪悪感を抱いて生きることになりました。
「我が儘を通したとこで親を病気にした」という罪悪感の方は、そう気づけたことで払拭することができましたが、
「私は、自分の能力を発揮して、親を喜ばせるのは嫌だ」「自分の才能を、親に利用されるのは嫌だ」という思いの方は、そんなふうに思っていると気づけなかったので、そこから自分を解放するのは大変でした。

走ることとか球技を楽しむこととか皆に語って伝えることとか・・・、私には幾つかの得意なことがあったはずなのですが、「(それをすることで親に)利用されたくない」という思いを心の深いところに埋め込んでしまったせいで、随分とケチで不自由なことをしてきてしまったものだなぁと、40代になって心理学など学ぶようになってから思いました。仕方ないけどもったいなかったです。

先日、「私は他人に利用されていると思ってしまう」というご相談をいただいたときに、参考までに、と させていただいた話でした。

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